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2008/11/26 (Wed) 20:50

コラム目次

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タグ :  目次

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2008/12/17 (Wed) 21:00

ダライ・ラマの名前の由来


ダライ・ラマ14世

ネット検索をしていたら、ダライ・ラマ(Dalai Lama)の語源について、
意外な事実を発見しました。

ダライとは、モンゴル語で大海、つまり智恵の海を意味し、
ラマとはチベット語で師(師匠、指導者)の意味で、ヒンドゥー語のグル・ババと同じです。
つまりダライ・ラマとは、奇しくもこのブログのタイトル・筆者名と同じ意味の、
智恵の海の師という意味です。

(自ら師というのはおこがましいのですが、自分の場合はまあジョークと考えてください。
 略称サイババと言いたかっただけなので ^^)

ダライ・ラマの名前の由来については、
中国 チベット(文化・歴史) -MSNトラベルにもその経緯が書いてあります。

ゲルク派ではラマの尊称を持つ僧の転生を信じる。このように転生した3世目のラマが、「ダライ Dalai」の称号を受けた。ダライとは「海」を意味し、「智恵の海」を表す。これは同時に、ゲルク派が世俗の大海原に漕ぎ出す契機でもあった。


元々このブログのタイトルは「智恵の泉」の予定だったのですが、
「智恵の泉」にふさわしいイメージのテンプレートにバグがあり、
しかたなく現在使っているテンプレートのイメージに合った、
「智恵の海」にタイトルを変更せざるを得なくなり、ちょっと不満だったのですが、
尊敬するダライ・ラマ14世の名前と同じ意味のタイトルと知り、現在は大満足です。
人間万事塞翁が馬ですね。

ちなみに自分はダライ・ラマ14世にインドのダラムシャーラーで、
ほんのちょっとだけお会いして新年の祝福を受けたことがあります。

ブログタイトルに恥じない内容の記事を書いていきますので、
今後ともご愛読よろしくお願いいたします。

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2008/12/20 (Sat) 21:00

アバター進化論

アバターとは元々のサンスクリット語ではアヴァターラ(अवतार avataara)です。
それをヒンドゥー語読みしてアヴァタール(avataar)になり、
それをまた英語表記・発音してアヴァター(avatar)になり、
それをまたまた日本語表記・発音してアバターになりました。


サンスクリット語のアヴァターラとは、神の化身の意味です。
インドで最も有名なアヴァターラはインドの3大神、
ブラフマー(創造の神)、ヴィシュヌ(維持の神)、シヴァ(破壊の神)のうち、
ヴィシュヌの10化身です。
世界が崩壊の危機にさらされたとき、化身として地上に現れるとされています。

順に名前と姿を書いていきます。
1.マツヤ (Matsya)、魚
2.クールマ (Kurma)、亀
3.ヴァラーハ (Varaha)、猪
4.ナラシンハ (Narasimha)、半人半獅子
5.ヴァーマナ (Vamana)、小人
6.パラシュラーマ (Parashurama)、人間
7.ラーマ (Rama)、人間
  叙事詩ラーマーヤナの英雄。桃太郎の原型とも言われる。
8.クリシュナ (Krishna)、人間
  叙事詩マハーバーラタの英雄。特にその挿話バガヴァッド・ギーターで活躍。
  マハーバーラタ、バガヴァッド・ギーターについてはいずれ連載予定です。
9.ゴータマ・ブッダ (Gotama Buddha)、人間
  おなじみ、仏陀、釈尊、お釈迦様、ゴータマ・シッダールタ。
10.カルキ (Kalki)、人間
  白馬に跨るまだ現れぬ救世主。

これを進化論だと捉える人もいます。
魚類、爬虫類、哺乳類、半人半獣、小人(精神的に小さいという意味)、
そして人間へと進化したという考えです。


アバターといえばゲームのアバターが有名ですが、
グループワークで自分の内面を見つめ、癒し・自己変革を行うワークショップもあります。
http://www.avatarj.com/

自分の内側を独りで見つめていく瞑想は基本的に孤独な作業で、
肉体的にも精神的にも辛いことがあるのですが、
アバターはグループワークですので肉体的には楽ですし、
孤独感、劣等感、罪悪感などをあまり感じないので、精神的にも楽でお勧めです。
また人との深いコミュニケーションという、愛や慈悲を養うこともできます。

独りで瞑想するも絶対と言って良いほど必要ですが、
ケース・バイ・ケースで使い分けると良いと思います。
できれば是非学校の授業にも取り入れていただきたいです。

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2008/12/27 (Sat) 21:00

沈黙の音を聴け

ベートーベンの交響曲ではその重厚な響きが注目されがちだが、
より素晴らしいのは音そのものより、音の後の休止符、つまり沈黙、静寂であろう。

ジャジャジャジャーン


同様の沈黙は芭蕉の句にもある。

古池や 蛙飛び込む 水の音


芭蕉が本当に聴いたのは水の音ではなく、水の音の後の沈黙なのだ。


なにより神秘的な沈黙は、イスラムの祈りの呼びかけるアザーンの沈黙であろう。

アッラーフ アクバル アッラーフ アクバル


沈黙により思考が止まり、音無き音が聴こえ、深い味わいが広がる。
賢者たちはこう曰く。この静寂こそが覚りの一瞥なのだと。

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2009/04/11 (Sat) 21:00

落語「五人張り」

自作現代落語「五人張り」です。


僕は学校で弓道をやっていますが、それ以外にも師匠がいます。
流派の名前は為朝流、別名無手勝流とも呼ばれる流派です。
始祖の源鎮西八郎為朝は、
五人張りという五人掛かりで張る強弓を引き、
飛ぶ鳥も落とすと言われた名人です。
永らく流派がとだえてましたが、
為朝師匠自らときどき夢枕に現われ、直々に指導を受けてます。

弓道は普通、伝統とか型とか作法とか一挙手一投足までうるさいのですが、
為朝流の免許皆伝となるには、
第一にウサギをとること、
第二に五人張りの弓を引くこと、
そして最後は飛ぶ鳥を落とすことだけです。
このシンプルで豪快なのが気に入っています。


先日師匠が、
「どうじゃ、もうウサギはとれたか?」
と聞くので、
「いえ、まだです。」
と答えたところ、
「ばかものっ、ウサギぐらいとれんでどうする!」
と怒られてしまいました。
「だって師匠、今時この辺にウサギなんていませんよぉ。」
と言ったら、
「武士が言い訳などするなっ、ウサギをとれっ!」
とすごい剣幕です。
武士じゃないのにぃ、
と内心ふてくされながら、
「犬や猫でもいいですかぁ?」
と、どうせできやしないけど聞いてみたら、
「ダメじゃっ、ウサギじゃっ!流派の伝統を守れ!良いなっ、ウサギでなければ破門じゃぞ!」
と言ってかき消えてしまいました。


こまったなー、ウサギなんかとれるわけないし、
変なところで伝統を守れとか、第一そんなもんいやしない。
途方にくれましたが、はたと思いつき、
ゲームセンターに行きました。
大枚はたいてようやくの思いでUFOキャッチャーでウサギをとりました。
家に帰ってから、30センチの至近距離から弓を引き、
矢を刺して置いておきます。
こんなんで大丈夫だろうか?と思いましたが、
何とかするしかありません。


ふたたび師匠が現われ、
「どうじゃ、ウサギはとれたか?」
と聞くので、
「はい、とれました!」
と答えます。
「よしっ、見せてみろ。」
と師匠は言います。
ばれませんように、
と祈りながらぬいぐるみをそっと見せると、
「よしっ、それでよしっ!」
というあっけない師匠のお言葉。
「えっ、いいんですか?」
ちょっと驚いて聞きます。
「なんじゃ、なにかあるのか?」
「いっ、いえ別に・・・」
「本当か?ちゃんと自分でとったのであろうな?」
「えっ、はい、自分でとりました。」
「他人に弓を引いてもらったとかないであろうな?!」
「いえ、ちゃんと自分で引きました!」
「よしっ、それでよしっ!」
師匠も意外とチェックあまいです。

「よしっ、次は五人張りの弓だ。五人張りを引けるようにしておけ!」
「えっ、いきなり五人張りですか?!僕まだ13キロの弓しか引けないのに。」
「13きろとはなんのことだ?五人張りを知らんのか?」
「いえ、知っています。五人掛かりで張る弓のことでしょう?」
「知っとるではないか。よいな、五人張りじゃぞ。」
「わかってます。流派の伝統でしょ。やらなければ破門でしょ。」
「わかっとるではないか。よいな、五人張りじゃぞ!」

消えてしまいました。


ふたたび途方にくれます。
こまったなー、そんなもん引けるわけないし、
第一そんな弓、どうやって手にいれるんだ?
はたと思いつき、学校の道場に行きます。
仲間を集めて、
「おい、みんな、ちょっと手伝ってくれ。弓張ってくれ。」
「なんだなんだ、弓ぐらい自分で張れ。だいたいこんなに人数いらんだろ。」
「いや、だめなんだ、四人いるんだ。」
「四人だとぉ、為朝のまねでもするのか?」
ぎくっ、図星。
でもこれは内緒です。
「まあ雷除けのまじないみたいなもんだ。」
自分を入れて五人で張ります。
よし、これで五人張りだっ、満足満足です。
張ったままの弓を持ち、満員電車に乗ります。
迷惑そうにじろじろ見られて、みっともないけどしかたありません。


師匠登場です。
「どうじゃ、五人張りは引けるようになったか?」
「はい、なんとか。」
「よし、引いてみろ。」
「はい!」
弓を引いてみせます。
「ほお、ちゃんと引けるではないか・・・。ごまかしては居らんだろうな?」
ギクッ。
「本当に五人張りか?!」
「はっ、はいっ!」
「三人や、四人ではないだろうな?」
「いえ、五人ですっ!」
「よしっ、それでよしっ!」
ふう、あぶなかった。
天下の為朝といえども、ちょろいもんです。


さてと、いよいよ次は鳥かな?
「よしっ、次はウサギをとれっ!」
げっ、またウサギぃ。
やっぱりばれてたか。
ウサギなんてとれっこないし、
これでいよいよ破門かぁ。
師匠を怒らせるとおっかないし、
無手勝流なんてかっこつけるんじゃなかった・・・。
「良いな、鵜(ウ)と鷺(サギ)じゃぞ!」
鵜と鷺ぃー、なんじゃそれ。
ここでいきなり駄洒落かぁ、あったま痛。
でも、やっぱり、こんなの絶対、無理だぁ。
「他の鳥では、鵜と鷺でなければ、やっぱり、破門でしょうねぇ?」
「とは言うても、今時ここらに居らんじゃろ。」

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2009/04/18 (Sat) 21:00

黙示録666の謎を仏教で解く

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。
新約聖書 ヨハネの黙示録 / 13章 18節


有名なヨハネの黙示録の謎の数字である。
この数字を仏教から解いてみよう。
仏教はとにかく数字が好きである。
何にでもほとんど数字がついてくる。
四聖諦、八正道、四苦八苦、百八の煩悩、その他数え上げればきりがない。

そこで仏教で666を探してみると、あったのである。
六根・六境・六識である。

六根とは眼・耳・鼻・舌・身・意(げん・に・び・ぜつ・しん・い)、
六境とは色・声・香・味・触・法(しき・しょう・こう・み・そく・ほう)、
六識とは眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識である。

そしてこれは見事に人間を指している。
六根・六境・六識が他の動物にも当てはまるとは限らない。
眼の無い動物もいるからである。

666が果たして本当に六根・六境・六識を指しているのかは定かではないが、
般若心経でも言っているように、六根・六境・六識は全て無常であり、
人間の本質ではないと看破することが悟りであり、
六根・六境・六識の世界から離れる、または超越するのが解脱である。

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2009/05/23 (Sat) 21:00

論理を超えた神秘

筆者は基本的にはどんなことでもできる限り論理的に理解しようとしていますが、
論理を超えた神秘というものが存在することを論理的に認めています。

例1
三角形の内角の和は180度である。
論理的にはそのとおりですが、現実には理想的な三角形は存在しません。

例2
生あるものは必ず死す。
経験則ではそのとおりですが、なぜ必ず死ぬのか論理的に説明できません。

なぜこんな自明のようなことが、論理と現実とで違うのかとても神秘的です。
このような神秘は他にいくらでもあります。

初めから全く論理的に考えずになんでもかんでも神秘だとする、
偏った神秘主義やスピリチュアリズムには大反対ですが、
人智を超えた神秘が存在することは、上記のように論理的に説明できます。

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2009/06/10 (Wed) 21:00

仏教の語源

仏教(Buddhism)、仏陀(Buddha)の仏とは、
budh という語源に帰着する buddhi=知性に由来します。
他にも菩薩(bodhisattva)=完全に目覚める用意のできた者、
菩提(bodhi)=目覚め・覚り、なども同じ語源から来ています。

budh には少なくとも5つの意味があります。
1.眠りから目を覚ますこと
2.認識する、気づく、通じる、注目する、心にとめること
3.知ること、理解すること
4.悟ること
5.洞察すること

ですから仏教とは知性教と言っても良いのです。
そしてブッダはそのとおり知性を使って覚り、
また自分の言うことでさえ鵜呑みにして信じるなと言っています。

ここで注意すべきことは、知識は知性ではないということです。
なぜなら知識とは先入観に他ならず、
気づくこと、あるがままを理解すること、洞察すること、悟ることの妨げとなるからです。
ですから、知性は必要ですが、余計な知識、つまり先入観は不要です。
今をありのままに観ることが大切です。

ちなみによく日本で使われる菩提を弔うという言葉は、
本来の菩提(bodhi)の意味からすると意味不明な使い方です。

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2009/06/13 (Sat) 21:00

シンクロニシティ

最近シンクロという言葉を使う人が多いですね。
たまたま誰かと似たような体験をしたりすると、
「あっ、それシンクロだね」とか言ったりします。

世界は見えない部分で繋がっている。この考えはある程度正しいです。
しかし、何もかもが密接につながってシンクロしているという考えは間違っています。

原因と結果という法則があり、
この結果にはこの原因があり、
あの結果にはあの原因があり、
お互いに無関係なのかもしれません。

工学の世界ではそれを切り分けと言い、とても重視します。
不具合が発生したとき、何が原因なのかを突き止めるため、
原因でないものを消去法で取り除いて、本当の原因を突き止めるのです。
そこでシンクロなんて言っていては何の解決にもなりません。

例えば Internet Explorer と Fire Fox で似たような不具合が発生したとします。
それをシンクロなどで済ますことはできません。
それぞれ個別の原因があるのです。

工学に限らず、全てをシンクロで片付けてしまうと、
因果関係に対する考察を放棄することになってしまいます。
また無関係な原因を無関係な結果と結びつけて考えるようになり、
思考が混乱し、なんでもかんでも原因を一元化してしまい、危険でもあります。

筆者自身体験があります。
無関係に起きた物事を全て結び付けて考えてしまい、頭がおかしくなりました。

この思考の混乱は一種の妄想であり狂気であり本当に危険なので、
よくよく気をつける必要があります。

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2009/07/04 (Sat) 21:00

スピリチュアルなディスカッション

ディスカッションをする場合、
つい相手を傷つけたり怒らせたり、
逆に傷ついたり怒ったりしていませんか?

ディスカッションをする場合の対象は考え・思考・論理であり、
ディスカッションをしている人自体、
つまり人格や人間性ではないというを忘れてはいけません。

ディスカッションをする場合の注意事項です。

・何かある考え・意見が間違っている思い指摘する場合、
 「『あなた』が間違っている」という態度で指摘せず、
 「『この』考え・意見に誤りがあると思う」と客観的に指摘します。

 自分の考え・意見の誤りを指摘された場合も、
 「『自分そのもの』が悪い」と言われたと思わず、
 「『この』考え・意見には誤りがあるかもしれない」と冷静に受け止めます。

・何か考え・意見について検討する場合、
 「誰が言ったから」ではなく、
 「考え・意見そのもの」が適切であるかを検討することが重要です。

 つまり、自分が言った、権威者や目上の人や好きな人が言った、
 初心者や目下の人や嫌いな人が言ったなどを一切排除し、
 「考え・意見そのもの」を客観的に検討します。

スピリチュアルなことや宗教的なことをやっている人でも、
これらのことを無視して人間関係のトラブルにまで発展することがよくあります。

ディスカッションの対象はあくまでも考え・思考・論理です。
このことを忘れないようにしましょう。

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