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2008/11/26 (Wed) 20:00

般若心経目次

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タグ :  目次

般若心経  |  ↑Top

2008/11/27 (Thu) 21:00

般若心経写経

仏説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。
舎利子。色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。受想行識亦復如是。
舎利子。是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。
是故空中、無色、無受想行識、無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法。
無眼界、乃至、無意識界。無無明、亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。
無苦集滅道。無智亦無得。
以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、
遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。
故知般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故。
説般若波羅蜜多呪。即説呪曰、
羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶
般若心経

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2008/11/28 (Fri) 09:00

般若心経は実践の勧め

般若心経については沢山の解説書が出ていますが、
般若心経の教えで本当に言いたいことは実は難しい理論ではなく、
実際に修行をするようにという実践の強い勧めです。
これからそれを解説していきます。

般若心経で一番言いたい事は何かというと、
やはり最後の般若波羅蜜多呪(真言、マントラ)の部分です。
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」

その証拠に、その直前の部分でしつこいほど、
これ以上の真実の言葉はなく一切の苦を取り除く、と言っています。
「是大神呪、是大明呪、是無上呪、是無等等呪、能除一切苦、真実不虚故。」

ではこのマントラの意味はなんでしょうか?
この部分は意訳せずに音訳されているので、 従来様々な解釈がされていますが、
中心的な意味は実は明解です。

原語のサンスクリット語ではこうなっています。
「Gate Gate Paragate Para Samgate Bodhi Svaha」
「ガテー ガテー パーラガテー パーラ サンガテー ボーディ スヴァーハー」

それぞれ単語の意味を訳してみます。
・gate 文法的には行ったという過去完了、転じて(乗り越えて)行け、修行せよの意味
・para 向こう岸、彼岸の意味、つまり悟り、涅槃の意味
・sam 強調の意味、または共にの意味、ここではもっと、真剣になどと訳すのが妥当
・bodhi 理解、智恵、悟りの意味
・svaha 幸いなれなどの意味を持つ感嘆詞

マントラ全文の中心的な意味を訳すとこうなります。
「修行せよ 修行せよ
 彼岸を目指して修行せよ 彼岸を目指して徹底的に修行せよ
 智恵、悟りよ幸いなれ」

つまり、「もっと修行せよ、これ以上悟りへ至る真実はない。」
そうしつこく何度も何度も言っていることが解ります。
言い換えれば、実践に勝る教えはない、と言っているのです。
これだけは絶対忘れてはいけないのです。
般若心経を読んだり頭で理解するだけで、 実際に修行しようとしないならば、
般若心経を少しも理解していないことになるのです。

般若心経が実践せよという修行が何かについては、
般若心経は瞑想の勧めで次回解説します。

般若心経  |  コメント(4)  |  ↑Top

2008/11/29 (Sat) 23:00

般若心経は瞑想の勧め

般若心経の教えは修行の実践の勧めであると、
般若心経は実践の勧めで前回解説しましたが、
ではその修行とは具体的には何の修行でしょうか?

それは冒頭の部分に書かれています。
「観自在菩薩、行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。」

キーになる部分をそれぞれ解釈してみましょう。
・観自在菩薩 観(の瞑想)が自在にできる修行者
・般若波羅蜜多行 本当の智恵を得るための瞑想修行、つまり観の瞑想のこと
・五蘊 体と心を構成する要素

現代文に訳すとこうなります。
「観の瞑想に長けた修行者は、
 智恵を得るための観の瞑想を深く修行することにより、
 体と心を構成する全ての要素は空であると看破し、
 一切の苦を乗り越えた。」

つまり般若心経で言っている修行とは「観の瞑想」のことです。
観の瞑想とは止観の観で、 自分をあるがままに観察して気づき理解することにより、
本当の自分を理解するいう、知識ではない本物の智恵を得るための瞑想修行です。
パーリ語ではヴィパッサナー瞑想と呼ばれます。

般若心経で何度も出てくる般若波羅蜜多とは、
智恵の修行、すなわち観の瞑想のことです。
観の瞑想を行うことにより、 自分が空だと悟り、 一切の苦を取り除くことが出来る。
こう般若心経は言っています。

修行はもちろん観の瞑想に限りませんが、
空を悟るためには最終段階の修行として、観の瞑想が必須である。
そう般若心経はそう言っています。

空の個人的解釈については、次回般若心経の空の解釈で触れます。
また沢山書物が出ていて、どれも当たらずとも遠からずだと思います。
しかし知識として知っていても、
本当のことは自分自身が悟らなければ解らないので、実践することがとても重要です。

結論として、 般若心経は観の瞑想の実践を勧めているので、
というより強く指導しているので、
般若心経が好きな方は、またそうでない方も、
いずれは観の瞑想を真剣に修行するよう心掛けるべきでしょう。

般若心経  |  ↑Top

2008/12/03 (Wed) 21:00

般若心経の空の解釈

般若心経の空の解釈については元々は書くつもりはありませんでした。
書くつもりが無かった理由は、空の解釈本は沢山出版されていて、
一部の書物を除きどれも当たらずとも遠からずであろうことと、
自分自身空について頭では理解できるものの、
本当に悟った、つまり一切の苦を乗り越えたわけではないからです。

しかし般若心経について書いているにもかかわらず、
空について全く語らないのは中途半端なので、
自分自身の個人的解釈を書くことにしました。
しかしこれは分かりやすい一解釈に過ぎず、
自分自身別の解釈もあることをお断りしておきます。

空が何かについて一般的に言われていることは、
不変なる核となる実体が無いもの、つまり無常、無我なもののことです。
一つの解釈は、空とはエネルギーのことです。

「色即是空、空即是色」というのは簡単に理解できます。
アインシュタインが相対性理論で E=mc² と述べ、それが証明されたように、
物質である肉体、つまり「色」はエネルギーであり空です。
そんな難しいことを言わなくても細胞は常に新陳代謝し、
何よりも死ねばいつかは形を変えてなくなるので無常、無我です。

では「受想行識」についてはどうでしょうか?
受想行識とは簡単に言えば心、または心の働きと解釈されます。
心をよく観察すると常に変化し無常であり、やはり不変なる核となる実体が無く、
かつエネルギーであることが分かります。
エネルギーやその働きに苦しみなどあるはずがありません。

しかしそれをちょっと分かったくらいでは、やはり苦しみはあるのです。
キーワードは「意識」つまり「気づいている者」だと思います。
意識、気づいているものが無ければ苦しみは無いからです。
まだまだ修行が浅いと反省しきりです。

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2008/12/06 (Sat) 21:00

般若波羅蜜多呪はなぜ音訳されているか

日本語に訳せないとされている般若心経の真言(マントラ)、
「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」が、
なぜ音訳されているのか、その理由を解説します。
般若心経は実践の勧めで以前解説しましたが、もう一度マントラ部分を解説します。

原語のサンスクリット語ではこうなっています。
「Gate Gate Paragate Para Samgate Bodhi Svaha」
「ガテー ガテー パーラガテー パーラ サンガテー ボーディ スヴァーハー」

それぞれ意味を訳してみます。
・gate 文法的には行ったという過去完了、転じて(乗り越えて)行け、修行せよの意味
・para 向こう岸、彼岸の意味、つまり悟り、涅槃の意味
・sam 強調の意味、または共にの意味、ここではもっと、真剣になどと訳すのが妥当
・bodhi 理解、智恵、悟りの意味
・svaha 幸いなれなどの意味を持つ感嘆詞

マントラ全文の中心的な意味を訳すとこうなります。
「修行せよ 修行せよ
 彼岸を目指して修行せよ 彼岸を目指して徹底的に修行せよ
 智慧、悟りよ幸いなれ」
これが中心の意味ですが、
なぜ意訳されず音訳されているのかは以下の理由だと考えられます。

1.音の響きによる詩的・音楽的意味、特に力強さと暖かさを保持するため。
2.それぞれの単語の意味が全てダブルミーニング・マルチミーニングなので、
 単なる意訳ではニュアンスが伝わらない。

この2つが音訳されている理由だと考えられます。
このマントラを唱える場合はメインの意味と副次的ニュアンスを理解した上で、
原文のサンスクリットで唱えるのが最も良いでしょう。

ブッダの力強い励ましと、暖かい祝福が聴こえてくるようではありませんか!

般若心経  |  ↑Top

2008/12/10 (Wed) 21:00

般若心経現代語訳

仏の説く偉大なる智恵の瞑想の修行の核心の教え

ありのままに観察し理解する智恵の瞑想が自在な修行者は、
智恵の瞑想を深く修行することにより、
自分を構成する物質と精神は全て、
不変なる核となる実体を持たないであると看破し、
一切の苦を乗り越えた。

物質とは空とは異ならず、空は物質とは異ならない。
物質すなわち空であり、空すなわち物質である。
精神もまた同様に空である。

全ての教え、法則というものは、
空の様相を表しているに過ぎず、それゆえ、
生じることも無く、滅することも無く、
汚れていることも無く、清いことも無く、
増すことも無く、減ることも無い。

全ては空の中にあるがゆえに、
物質も無ければ、精神も無く、
眼、耳、鼻、舌、体、心の感覚も無ければ、
それらの対象も無く、それらの世界も無い。

十二縁起の始まりの無明から終わりの老死に至るまで、
どれも無く、また尽きることも無い。

四聖諦の苦というものは無く、苦の原因も無く、
苦が滅することも無く、苦を滅する道も無い。

知るということも、得るということも無い。

得るということが無いゆえに、
修行者は智恵の瞑想の修行によってこだわり執着を無くし、
こだわり執着が無いゆえに恐怖も無く、
全ての誤った概念を離れ、究極の平安の境地に達するのである。
過去、現在、未来の覚者たちは、
智恵の瞑想の修行によって無上の悟りを得るのである。

ゆえに知るべし、
智恵の瞑想の修行の大いなる真言、偉大なる真言、無上の真言、無比の真言を。
偽りのない真実であるがゆえに、一切の苦しみを取り除くことができる。
智恵の瞑想の修行の真言とは、すなわちこの言葉である。

修行せよ 修行せよ
彼岸を目指して修行せよ 彼岸を目指して徹底的に修行せよ
智恵、悟りよ幸いなれ

智恵の核心の教え

般若心経  |  ↑Top

2008/12/13 (Sat) 21:00

般若心経サマリ

・般若心経は、修行を実践すること以上の教えはないと説いている

・実践する内容は、智恵の瞑想(観の瞑想、ヴィパッサナー瞑想)である

・観の瞑想とは、自分自身を観察し、気づき、理解することである

・自分自身を深く理解すると、自分は空であると理解できる

・空とは、不変なる核となる実体を持たないもののことである
  ・例えばエネルギー
  ・物質はエネルギーであるが、精神もまたエネルギー

・自分が空であると本当に理解すると、こだわり・執着・恐怖が無くなり、
 一切の誤った概念が無くなり、全ての苦しみから解放される

・全ての法(教え、法則)というものは、空の様相を表しているに過ぎないので、
 十二縁起や四聖諦などの法も、やはり無い言えば無いとも言える

・真言が意訳されていない理由は、ニュアンスと響きを保つため

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