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2008/11/26 (Wed) 20:10

ヒンドゥー目次

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タグ :  目次

ヒンドゥー  |  ↑Top

2009/02/14 (Sat) 21:00

ヒンドゥーの神

Brahma
ブラフマー
Vishnu
ヴィシュヌ
Shiva
シヴァ
偶像崇拝の多神教だとよく誤解されるヒンドゥー教ですが、実はそうではありません。
ヒンドゥー教の神は擬人化でありシンボルであり、神話は寓話なのです。
ヒンドゥー教の三大神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは、ぞれぞれ、
創造の神、維持・発展の神、破壊・変容の神ですが、
実は三神一体(サンスクリット語:त्रिमूर्ति トリムルティ Trimurti)であり、
宇宙の様相・機能・法則をそれぞれ別の神として表したものなのです。

従ってヒンドゥーの神々は、よく誤解されているような、高次の生命ではありません。
仏教ではブッダが梵天(ブラフマー神)に教えを説いたという有名な逸話がありますが、
これは仏教で作られた神話です。
宇宙の様相・機能・法則に教えを説くことはできません。


ヒンドゥー教の教えを説いたバガヴァット・ギータでは、
ヴィシュヌの8番目の化身(アヴァターラ)であるクリシュナが、
勇者アルジュナに自分の真の姿を見せる場面があります。

そのときクリシュナが見せた姿は宇宙の様相総てを表していて、
アルジュナには複雑かつ壮大すぎて理解ができず、
「もう十分です、私にはとても理解できません」とアルジュナは言います。

Krishna
アルジュナに真の姿を見せるクリシュナ


さまざまな民間信仰や寓話が入り混じり、
一見混沌として突拍子もなく見えるヒンドゥー教ですが、
バガヴァット・ギータやパタンジャリのヨーガ・スートラなどは、
修行の方法を具体的に説いており、その真髄は素晴らしいです。

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2009/02/18 (Wed) 21:00

バガヴァット・ギータ背景

krishna_arjuna_1_org.jpg


勇者アルジュナ王子はクルクシュートラの戦場で、敵を一望して戦意を喪失する。
この戦いは身内の争いであり、敵は仲が悪いとは言え従兄弟たちであり、
敵軍には尊敬する一族の長老ビーシュマや、師であるドローナもいたからである。
またこの戦争のためにたくさんの人々が命を落とすことに心を痛めたのだ。
迷うアルジュナは御者を務めるクリシュナに頭を下げ教えを請う。


ここにいたる背景はこのようなことであった。

アルジュナの祖父にあたるヴィチトラヴィーリヤ王には、
ドリタラーシュトラとパーンドゥの二人の息子がいた。
兄のドリタラーシュトラは盲目であったため、
弟のパーンドゥがヴィチトラヴィーリヤ王の死後王位に就いたが、
パーンドゥは若くして死んだため、結局盲目のドリタラーシュトラが王位を継いだ。

パーンドゥには5人の王子がいた。
ユディシュトラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァの5王子である。
彼らはパーンダヴァの5王子と呼ばれ、学問にも武術にも秀でており、
人間としての徳も高かった。

方や盲目のドリタラーシュトラにはドゥリヨーダナを長男とする100人の王子がいた。
彼らはカウラヴァの100王子と呼ばれたが、みな悪い性質を持っていた。

パーンダヴァの5王子とカウラヴァの100王子は共に育ったが、
カウラヴァの100王子はパーンダヴァの5王子を妬み、仲が悪かった。

何十年もの紆余曲折の末、
ついにパーンダヴァの5王子とカウラヴァの100王子の間で戦争が始まることとなった。
彼らは親類や縁者に援軍を頼み、一族の長老ビーシュマと軍師ドローナは、
カウラヴァの100王子側に就くことになった。

アルジュナの従兄弟であり友人であり隣国の王でもあった、
クリシュナ(実はヴィシュヌ神のアヴァターラ)も援軍を求められる。
そのときクリシュナはこう言う。
「片方の軍には私自身を、もう片方の軍には私の軍勢を与えよう。」
カウラヴァの100王子の長男ドリタラーシュトラは軍勢を選び、
アルジュナは迷うことなくクリシュナ一人を選ぶ。
このときクリシュナ自身は直接戦うことはなく、アルジュナの御者を務める約束をする。

そしてついにクルクシュートラの戦場で両者の大軍が相対した。
しかし、ここでアルジュナは敵軍に多くの親族や師や朋友がいるため、
戦う意欲を失くしてしまう。
そしてこのとき初めてクリシュナを友ではなく師として扱い、教えを請うのである。
クリシュナは真の姿をアルジュナに見せ、バガヴァット・ギータを説き、
魂の不死、人の生きる道を教え、
我を捨てて義務を遂行し、敵を全滅させねばならないと説く。
アルジュナは勇気を回復し、ついに戦いの火蓋は切られたのであった。

(叙事詩マハーバーラタよりあらすじを超抜粋要約)

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2009/02/21 (Sat) 21:00

マハーバーラタの読み方

krishna_arjuna_2.jpg


前回バガヴァット・ギータ背景でマハーバーラタのあらすじを書きましたが、
そのあらすじの読み方です。マハーバーラタの物語は寓話です。
この物語を事実であるとか、戦争を鼓舞しているとか、そのように読んではいけません。
ましてや核戦争の話であるとかはトンデモです。
これは修行者の心の中の物語です。

アルジュナがクルクシュートラの戦場で敵を一望したのは、心の中の内観を表しています。

そして敵が身内であるというのは、敵とは実は自分の心の中にあることを意味しています。

敵であるカウラヴァの100王子というのは、100の煩悩を意味しています。
仏教では108ですが、この場合はたくさんあるというだけで、本質的には同じ意味です。
100王子の長男のドゥリヨーダナは強欲の象徴です。

100王子が盲目の王ドリタラーシュトラから生まれたというのは、
煩悩は盲目の心、すなわち無明から生じるという意味です。

尊敬する長老ビーシュマと師ドローナも敵であるのは、
かつては役に立ったが、今はもう役に立たなくなった教えに対する執着を意味しています。

クリシュナが敵を全滅させよと言うのは、すべての煩悩、執着を断ち切れという意味です。

アルジュナがクリシュナの軍勢ではなく、御者のクリシュナ一人を選んだというのは、
本当に精神的に価値のあるものは、
軍勢、すなわち能力や地位や財産に勝るということの象徴です。

そしてアルジュナが勇気を失いまた回復したのは、
修行はくじけてもまた勇気をもって戦わねばならないということを表しています。

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2009/02/25 (Wed) 21:00

魂の不死(クリシュナの言葉)

魂にとって誕生もなく死もない
原初より在りて永遠に在り続け
肉体は朽ち滅びるとも
魂は不壊不滅である  (バガヴァットギータ 2章20節)

バガヴァットギータでは魂が永遠であるということを繰り返し説いています。
かつ魂は無限であり、
切ることも燃やすことも濡らすことも乾かすこともできないと説いています。
つまり物質的な影響を及ぼすことができません。
また考えることもイメージすることもできません。
なぜなら魂は無限であり、心は有限だからです。

この魂についての考え方が、ヒンドゥー教と仏教の最大に異なるところです。
仏教では永遠不滅なる魂を認めていません。
仏教では生命の本質は空であると説いています。
しかし、もしかすると同じことなのかもしれません。

空というのは無いということではなく、中核となる実体がないということですから、
無限かつ永遠だとも解釈できます。
無限であるということは、自他の区別はありません。
自他があるということはそこに境界があることになり有限になるからです。
ですから、無限かつ永遠であるということは空であり無我であるとも言えます。

しかし、バガヴァット・ギータも言っているように、
心で考えても知ることはできないので、
後は実際に瞑想して観るのみです。

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2009/03/04 (Wed) 21:00

魂はひとつ(ハヌマーンの言葉)

rama_hamuman.jpg


あるときラーマ王子(実はヴィシュヌ神のアヴァターラ)は、
猿神ハヌマーンにこう尋ねます。
「君は私を何と見るか?」
ハヌマーンはこう答えます。
「私が私自身を肉体であると考えるとき、
 あなたは主人であり、私は家来です。
 私が私自身を肉体に宿った個別の魂であると考えるとき、
 あなたは全体であり、私はあなたの部分です。
 しかし私が私自身を至高の魂であると理解すると、
 あなたと私はひとつです。」          (叙事詩ラーマーヤナより)

以前魂の不滅(クリシュナの言葉)で、
魂は不滅で無限で境界がなく個がないということを述べましたが、
ハヌマーンの言葉もまさに同じです。

ベトナムの僧侶ティク・ナット・ハンは、
空とは分かれていないことであり全体であると言っていますが、それとも同じです。

ここにヒンドゥー教と仏教の根本の一致を見ます。
またOSHO(ラジニーシ)クリシュナムルティの教えとも一致します。

しかし実際にそれを観ずることは簡単ではありません。
独り瞑想するだけではそれは困難でしょう。
まず自分と他人の区別をなくすことが必要です。
つまり慈悲の行為です。

ハヌマーンがこの境地に至ったのは、瞑想を行うと共に、
完全に我を捨ててラーマに尽くしたからです。
つまり我を捨てた慈悲の行為です。

瞑想と慈悲、どちらも必要であるという、
仏教とヒンドゥー教の教えの一致をここに見出せます。

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2009/03/25 (Wed) 21:00

カルマの法則

カルマはよく因果応報のことと思われ、
悪いことをしたから罰が当たる、良いことをしたからご褒美がもらえる
というように解釈する人がいますが、そういうものではありません。

カルマを理解するにはサンスクリット語でサンスカーラ、パーリ語でサンカーラ、
日本語で行(受想行識の行)というものを理解する必要があります。

サンスカーラ(行)とは、行動を起こす意思ではなく、潜在意識の残存印象、
経験の蓄積によって条件付けられたすべてのパターンの保管場所で、
唯識ではアーラヤ識と呼ばれるものです。

心の傾向→欲望→思考→行動→結果
  ↑←  サンスカーラ  ←↓

このようなサイクルで同じようなパターンの結果を生み出すのがカルマです。
つまりこのサイクルを断ち切らないと、カルマはどんどん蓄積されて、
同じようなパターンを何度でも繰り返すことになるのです。
サンスカーラを清め、このサイクルを断ち切ることがカルマからの解脱の一つの鍵です。


カルマには3つのタイプのカルマがあります。
1.Prarabdha コントロールできない(過去に生成された蓄積の一部)
2.Sanchita 消滅させるべきカルマ(過去の経験の膨大な蓄積)
3.Kriyamana 完全にコントロールできる(現在生成されつつあるもの)

Prarabdha はすでに蓄積されコントロールできない部分なので、いつかは報いを受けます。
Sanchita は蓄積されてはいるものの、修行によって消滅させることができます。
Kriyamana は現在生成されつつあるものなので、
意識的に生きることで生成を防ぐことができます。


次回は Sanchita を消滅させる方法、カルマヨーガについて解説します。

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2009/03/28 (Sat) 21:00

カルマヨーガ

前回カルマの法則で消滅させることができるカルマ(Sanchita)があると解説しましたが、
今回はそれを消滅させるカルマヨーガについて解説します。

ヨーガというと通常ストレッチ体操のような修行法を思い浮かべますが、
本来ヨーガとは結びつき、合一などの意味で、修行全般を指します。
カルマヨーガもストレッチではなく、日常生活での心がけのようなもので、
具体的な修行としては、禅でいう作務やセヴァ(奉仕)のような、
肉体的・精神的修行のことです。

カルマヨーガでは肉体的行為、精神的行為を清めることにより自分を変え、
サンスカーラを浄化して、アクション、リアクションであるカルマを消滅させます。

具体的な行為をする場合は、単純で思考を使わない行為の方が望ましいとされます。
なぜならサンスカーラは過去の記憶でありエゴなので、
記憶やエゴを増長させる可能性が高い思考は使わない方が良いからです。
公共の場の掃除などはもってこいのカルマヨーガになります。

以下、どういう心がけで生活または作務、奉仕を行うかを箇条書きします。

・奉仕を献身の気持ちで行動すること
・神、または全体を敬う気持ちで行動すること
・神、または全体の一部、手足、道具となりきること
・すべての人に神性、仏性を見ること
・報いを一切期待しないこと
・怠惰に執着しないこと
・成功や失敗があってもバランス感覚を保つこと
・今に幸福を感じ、今を楽しみ、今に居ること

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2009/05/27 (Wed) 21:00

マントラヨーガ

マントラヨーガとは、マントラ(真言)を繰り返し唱える修行法で、
ジャパヨーガとも呼ばれます。
広い意味では念仏や題目や読経なども含まれます。

はたして同じ言葉を唱え続けることに何の効果があるのかと、
疑問を持たれる方も多いと思いますが、一定の効果があります。

1.サマタ瞑想としての効果
 同じ言葉を唱え続けることにより、集中力がつき精神統一され、
 雑念・妄想を防ぐことができ、心が安定します。
 このためにはマントラはどんなマントラでも構いません。
 集中して唱え続けることに意味があります。

2.ヴィパッサナー瞑想としての効果
 雑念・妄想をある程度防げると言っても、やはり思考・感情は湧いてきます。
 その思考・感情が、普段気づかない自分の潜在意識の表れの場合があります。
 これに気づくことでヴィパッサナー瞑想としての効果があります。
 このためにはやはりマントラはどんなマントラでも構いません。

3.音韻が心に与える効果
 万国共通に、人は楽しいときにはハッハッハと笑い、痛いときにはウッと唸ります。
 逆に音韻を利用することにより心に影響を与えることができるのです。
 どの音韻がその人に良い影響を与えるかは、人によって異なります。
 そのためマントラを個別に授けるときには、その人を観て慎重にマントラが選ばれます。

4.意味的効果
 マントラに論理的意味がある場合には、その意味を繰り返すことにより、
 意味を納得できるようになっていきます。
 この場合はただ漫然を唱えるのではなく、意味を理解しながら唱える必要があります。
 例として、般若心経の般若波羅蜜多呪があります。
 参照 般若波羅蜜多呪はなぜ音訳されているか

その他神秘的な効果を謳う人もいますが、これについては筆者は懐疑的です。

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2009/06/20 (Sat) 21:00

トリグナ

ヒンドゥーではエネルギーの状態を3つに分けた、
トリグナという言葉をよく使います。
トリとは3の意味で、グナとは性質・状態の意味です。

・タマス(怠性、怠惰、無知) 不活発な状態
・ラジャス(動性、激動、激情) 荒い状態
・サットヴァ(純粋性、神聖な質、清) スムーズな状態

通常は心の状態を指しますが、
心に限らずエネルギー・状態は全てどれか3つに分類できます。

交通状態の例
・タマス 渋滞
・ラジャス 信号のあるゴーストップが繰りかえされる道
・サットヴァ 高速道路、田舎の信号のない良道でのクルージング

この3つは厳密に分けられるわけではありません。大雑把な分け方です。
食べ物にもタマスを増す物、ラジャスを増す物、サットヴァを増す物などがあります。

サットヴァの状態は微妙なチューニングとも言えます。
あまりにもスムーズなので何もしていないように、
止まっているように見えることさえあります。

自分の心の状態を観察して、
サットヴァの状態を保てるようにすることが重要とされています。

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