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2009/01/03 (Sat) 21:00

ニュー・アース

一億一千万四百万年前、一輪の花が咲いた。
それは地上で初めて咲いた花だった。
しかしまだそれは特殊現象に過ぎなかった。
だがある時、植物の進化は決定的な閾値に達し、
地球のありとあらゆるところに、色彩と香りが爆発的に広がり始めた。

人間の覚りとは、人間にとっての開花であり、絶対的な平安の境地であるが、
それは今まで特殊現象に過ぎず、僅かの人しか覚りに至れなかった。
しかし今まさにその閾値を超え、爆発的に広がり始めようとしている。
(エックハルト・トール著「ニュー・アース」冒頭より要約)

今まで覚りに至るには、
自己観察瞑想(観の瞑想、ヴィパッサナー瞑想)がほとんど必須でした。
しかし従来のヴィパッサナー瞑想の方法で覚りに至るのは、
実際には非常に困難であり、僅かの人しか覚りに至れませんでした。
その覚りを一般の人にも大きく開く可能性をもった本が、このニュー・アースです。

覚りに至るには、エゴや記憶との自己同一化をせず、
現在を意識的に生きることであると本書では言っています。

やはり自己観察を基本にしていますが、
エゴと過去の記憶による不幸を観察・理解することによりそれらを手放し、
宇宙全体と繋がった本来の自分である「意識」を発見し苦しみを無くすための、
具体的かつ実践的な手引書です。
単なる知識ではなく、読むことにより自己観察すること自体がワークであり修行となります。

瞑想者にとっても、またそうでない一般の人にとっても、必読の書です。
ミクシィのレビューもたいへん参考になり、ほとんどの人が満足度最高点をつけているので、
ミクシィ会員の方は是非こちらもお読みください。

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瞑想・慈愛  |  コメント(0)  |  ↑Top

2009/01/07 (Wed) 21:00

スピリチュアリティの本質

スピリチュアル、現在この言葉はひどく誤解され、
オカルトの領域にまでなってしまっています。

スピリットとは日本語に訳せば、
純粋な精神とでも言うべきもので、
過去世とか未来とか霊とかオーラとかが見えるとか、
チャネリングができるとか超能力があるとかなどは、
スピリチュアリティが高い、つまり精神の純粋性が高いこととは、
本来何の関係もありません。

そういうことは能力の一部に過ぎず、
勉強ができるとか、容姿が美しいなどと同様に、
必ずしも精神の純粋性を表しているとは限りません。

ではスピリチュアリティが高い、つまり精神の純粋性が高いとはどういうことでしょうか?

それは思い込み・こだわり・執着が無く、
物事(特に自分自身)の本質をあるがままに洞察する智恵を持ち、
全ての生命に対する慈悲の心を持ち、
エゴ、自分が無いことです。

ブッダは教えの基本に「智慧」と「慈悲」を説き、
人は本質的には「無我」であると説きました。

Osho(ラジニーシ)は「瞑想」と「愛」という言葉で表現し、
真の「自由」という言葉で表現しました。

クリシュナムルティは「あるがままを観察して理解する」という言葉と、
「他者との関係性」という言葉を使い、
「自我の終焉」を説きました。

シュリ・シュリ・ラヴィシャンカールは具体的な方法として、
「サーダナ(瞑想と呼吸法の修行)」と「サトサング(賢者と共にあること)」と、
「セヴァ(奉仕)」を説きました。

これらの覚者・賢者たちが共通して言っていることは、
「智恵・瞑想」と「慈悲・愛」と「執着エゴがない・無我」ということです。
言い換えれば人格が高いということです。

そしてもう一つ重要なことは、過去や未来に捕らわれず、
「今この瞬間」を「意識的」に生きるということです。

そのように生きる人が本当にスピリチュアルな人なのです。
そしてそのように生きることが、自分のためにも他人のためにもなり、
そして生きている限り避けることのできない現象的苦しみ、
四苦八苦を超越することにもなるのです。

瞑想・慈愛  |  コメント(2)  |  ↑Top

2009/01/10 (Sat) 21:00

瞑想学基礎

瞑想とは何か?
あらためて聞かれると返事に困ることが多いと思います。
今回は瞑想とは何かについて基礎的なことを書きます。

瞑想とは日本では古来止観と呼ばれていました。
瞑想は大きく2つに分類できます。

1.止観の止の瞑想(止行、パーリ語でサマタ瞑想またはサマディー瞑想)
 リラックス状態で心を集中して精神統一し、心を安定させる瞑想です。
2.止観の観の瞑想(観行、パーリ語でヴィパッサナー瞑想
 自分自身をありのままに観察して理解し智恵・洞察を得る自己観察瞑想です。

これ以外は本来は瞑想とは呼べません。
例えば祈り、イマジネーション、能力開発、睡眠的リラクゼーション、カタルシス、
エナジーワークなどはそれはそれ自体意味がありますし、
瞑想の予備段階として必要な場合もありますし、
また人間の精神活動はいろいろ並行して行われていますので、
瞑想的要素が含まれている場合もありますしが、
本来の意味での瞑想ではありません。

では止の瞑想(サマタ瞑想)と観の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)では、
どちらの方が重要なのでしょうか?

どちらも重要でいわば車の両輪のようなものではありますが、
どちらかといえば観の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)の方が重要です。

それは止の瞑想(サマタ瞑想)では瞑想中は心の平安を得たとしても、
瞑想が終わればまた様々な苦しみに振り回される可能性があるのに対し、
観の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)は自分自身や物事の本質を洞察するとにより、
体と心を超越して全ての苦しみを超越できるからです。
これがブッダの到達した悟りへの道への結論です。

しかし、心の安定なくして洞察は困難ですので、
止の瞑想(サマタ瞑想)もやはり重要です。

Osho(ラジニーシ)クリシュナムルティは瞑想の本質を簡単に述べています。
「ただありのままに判断せず観察し気づき理解することだ。
 理解することにより苦しみやエゴなど余計なものが自然に落ちるのだ。」
これは観の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)の本質を端的に述べたものです。

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2009/01/14 (Wed) 21:00

社会主義と資本主義

社会主義と資本主義に対する誤った概念は、
両者は対立するイデオロギーであるということと、
社会主義の失敗は歴史が証明したということです。

社会主義と資本主義は両極端では対立しますが、
実は対立するイデオロギーではありません。

両者は富の配分をどうするかについて、
社会主義は働きに関係なく全員平等に、
資本主義は働きに応じて全員公平にということです。

働きに応じて全員公平というのは細かく見ると難しい問題です。
人間それぞれ能力も働きも違うし、
それを公平に評価するといっても、
金額だけで一律に比較できないからです。
また社会的弱者には厳しい制度です。

それに対して全員平等というのは、
分かりやすいといえば分かりやすいですが、
それでは不公平です。

つまり両者のバランスが重要です。

実際、世界中ほとんど全ての国で、
社会主義と資本主義の中庸の政策が採られています。
例えば所得の多い人には多く課税し、
所得の無い人にはなんらかの公的支援をするということです。


さてそれでは、ソ連などの旧社会主義国はなぜ崩壊したのでしょうか?
その理由は極端な社会主義思想にも問題はありますが、
本当の理由は他にあります。
・特権階級だけが裕福になり、本当の社会主義ではなかったこと
・さまざまな弾圧をし、富の配分以外も自由ではなかったこと
・特にソ連の場合は、実権はロシアにあり他の国を支配する帝国主義だったこと
これらが本当の理由で、必ずしも社会主義そのものが失敗したわけではありません。


現在アメリカ型資本主義では人々は幸福になれないことが証明されつつあります。
見習うべきは北欧の国々でしょう。
高い税金と豊かな福祉で、ほとんど社会主義に近い政策を採っています。
キューバやボリビアの政策も研究すべきでしょう。

今、社会主義と資本主義のバランスをもう一度見直す時期に来ています。

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2009/01/17 (Sat) 21:00

欲求と欲望

人は欲望があるからこそ生きていけるのだ。
食べたいという欲望があるからこそ、食べ生きていけるのだ。
こういう意見をよく聞きます。

しかし欲求と欲望は分けて考える必要があります。

欲求とは必要なもの、欲望は必要ないものを欲することです。
生きていく上で欲求は必要です。しかし欲望は不要です。

欲望は必要ないものを妄想して欲しがることで、
そしてそれは現在には無いものですから、
現実との対比が起き、苦しみにつながります。
そして妄想は広がっていき、それも苦しみにつながります。

欲求と欲望についてのもう一つの誤った認識は、
悟れば全ての欲がなくなるということです。
食欲を滅したという話はよく聞きますが、
排泄欲を滅したという話は聞いたことがありません。
悟っても欲求はあるのです。(あるはずです。筆者は悟っていませんので。)

生きている限り欲求はなくなることはなく、
また欲求は満たされればそこで一旦終了です。
これは性欲や金銭欲についても言えることです。
欲求は必要なのであり、抑圧すべきではありません。

さらにもう一つ欲望についての誤った認識は、
欲望は無限であるといういうことです。
欲望は有限です。
欲望は想像力の範囲内でしか起きません。
人間の想像力は、可能性としては無限ですし、
限りある物質や時間から見ると無限にも見えますが、
ある個人のある瞬間においては有限です。
従って欲望も有限です。

また欲望も欲求と同様、満たされれば終わる欲望もあるということです。
こういう欲望は、可能であればさっさと満たしてしまえば良いのです。
我慢すればするほど欲望は大きくなります。
(こういう欲望は実は欲望ではなく、
 欲求や、欲求の代償つまりカタルシスであることが多いのですが)


欲望の本質的な問題は、
現在現実には無くまた必要でも無いものを欲することです。
それが自分や他の生命を苦しめます。

とはいえ、欲求と欲望の境界線ははっきりとはしません。
欲望とは何かの欲求の代償であることが多いからです。
本当は必要なものが別にあるのに、代わりのものを欲望するのです。
そして欲求と別の欲望が絡み合い、新たな欲望を生じさせます。

何が欲求で、何が欲望なのか、
つまり何が本当に必要で、何が不要なのか、
何を本当に求めているのか、自己観察が必要です。

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2009/01/21 (Wed) 21:00

アザーン


























Flash ムービー "Adhaan" (アザーン)の説明です。   go to English page

・機能説明
Adhaan
赤丸で囲った部分と背景はそれぞれボタンになっています。
1. 音声選択画面を開きます。
2. 動画の停止、再生を行います。
3. 動画の再生順序の変更を行います。順回転、逆回転、ランダムが選択できます。
4. 音声のリピート再生、ノンリピート再生の選択ができます。
5. 音声の再生、停止を行います。
6. 音声再生中に表示される音声情報の表示、非表示が選択できます。
・ 背景 ヘルプページ(このページ)を開きます。


・画像説明
この動画の元の画像は、世界遺産でもある、
イランのエスファハーンマスジェデ・ジャーメ(金曜モスク)の壁のタイル画です。
写真提供はシさんです。
傷が目立つ部分には画像ソフトで修復を加えてあります。
中央のシンボルは、アラビア文字をデザイン化したもので、
それぞれ以下の文字が書かれています。

Allah
Muhammad
Ali
アッラー
ムハンマド
アリー


・音声説明
再生される音声は、イスラムの祈りの呼びかけアザーンです。
よくコーランの朗詠と誤解されますが、コーランではありません。
再生される詠唱は再生時間がそれぞれかなり異なっていますが、
唱句は全てほとんど同じです。
唱句の内容は Wikipedia アザーン をご参照ください。

音源は http://www.audioquraan.com/adhan.asp という、
アザーンのダウンロードページを使っています。
ほとんどのものは AudioQuraan.com にダイレクトにリンクを張っていますが、
ファイル形式が mp3 でないものや雑音が目立つものは変換してあります。

音声情報表記については、スペースが限られているため、また読んで分かりやすいように、
Flash ムービー "Adhaan" では省略・変更してあります。
Al- で始まるものは Masjid(モスク)の名前です。後ろに都市名をつけました。
Al- で始まらないものは、詠唱している人の名前のようです。

AdhaanAudioQuraan.com
Al-Azhar CairoMasjid Al-Aqsa - 1
Al-Khalifa SharjahAdhaan from Masjid al Khalifa - Sharjah - UAE
Al-Haram MeccaMasjid al haram
Al-Aqsa JerusalemMasjid Al-Aqsa - 2
Hussain RajabHussain Rajab
Yusuf IslamYusuf Islam
Hafiz Mustafa OzcanHafiz Mustafa Özcan - Turkey
Adhaan from TurkeyAdhaan from Turkey
Adhaan from BosniaAdhaan from Bosnia

AudioQuraan.com との表記上で大きく異なる点は、
AudioQuraan.com の "Masjid Al-Aqsa - 1" を、
Flash ムービー "Adhaan" では "Al-Azhar Cairo"としてあるところです。
その理由は、 http://www.islamweb.cz/audio/adhan/ というページでは、
全く同じ音声を "Adhán z mešity Al-Azhar v Káhiře - Egypt" としていたためです。
どちらが正しいのか判断できないので、
"Masjid Al-Aqsa - 2" と区別するのに便利な "Al-Azhar Cairo" を採りました。

咳払いや雑音が入っているものなどもありますが、どれも素晴らしいです。
最もお勧めは "Al-Azhar Cairo (Masjid Al-Aqsa - 1)" です。
ランダムを選択して、リピート再生をするのも良いでしょう。


・関連記事
沈黙の音を聴け」 アザーンについても触れています。


・使用ソフトウェア
ラスター画像編集 GIMP 2.6.3
動画作成 Sqirlz Morph 2.0
Flash作成 ParaFla 1.37
ベクター画像編集 ParaDraw 0.3a4
音声ファイル変換 iTunes 8.0.2.20, dBpoweramp Music Converter

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2009/01/24 (Sat) 21:00

Adhaan



























Explanation of Flash Movie "Adhaan"    日本語ページへ

・Functions
Adhaan
The parts surrounded by red circles and the background are buttons.
1. Open sound selecting list.
2. Stop or Play movie.
3. Change movie rotation order. Normal, Reverse, or Random can be selected.
4. Repeat or Non-repeat sound.
5. Start or Stop sound.
6. Hide or Show sound information, which appears during sound is played.
・ Background     Open Japanese help page.


・Graphics
The original pictures of this movie are ceramic tile arts on the wall of
Masjed-e Jame (Friday Mosque) in Esfahan, Iran.
(World Heritage, Photgrphed by Shi)
Conspicuous damages are recovered with graphics editing software.
The symbols on the center are designed Arabic letters.
Each meaning is as below.

Allah
Muhammad
Ali
Allah
Muhammad
Ali


・Sounds
The played-back sounds are Adhan, the Islamic call of prayer.
Although Adhan is often misunderstood as a chant of the Qur’an,
it is not a part of the Qur’an.
The playback times of the chants are very different from each other,
but their words are almost the same.
(See Wikipedia Adhan to know the words.)

The sound sources are on a download page, http://www.audioquraan.com/adhan.asp.
Most of the sounds are direct-linked to AudioQuraan.com.
But those that are not in mp3 format, or have conspicuous noise, are converted.

Some of the sound information of Flash movie "Adhaan" are shortened or modified,
because of limited space, or to be read more easily.
The titles begin with Al- are the name of the mosques, and added city names.
The titles not begin with Al- are seem to be the names of the chanting persons.

AdhaanAudioQuraan.com
Al-Azhar CairoMasjid Al-Aqsa - 1
Al-Khalifa SharjahAdhaan from Masjid al Khalifa - Sharjah - UAE
Al-Haram MeccaMasjid al haram
Al-Aqsa JerusalemMasjid Al-Aqsa - 2
Hussain RajabHussain Rajab
Yusuf IslamYusuf Islam
Hafiz Mustafa OzcanHafiz Mustafa Özcan - Turkey
Adhaan from TurkeyAdhaan from Turkey
Adhaan from BosniaAdhaan from Bosnia

The biggest difference between Flash movie "Adhaan" and AudioQuraan.com is
the name of “Al-Azhar Cairo” in Flash movie "Adhaan",
which is named as “Masjid Al-Aqsa – 1” in AudioQuraan.com.
The reason is that the same sound is on http://www.islamweb.cz/audio/adhan/,
and it notates the same sound as “Adhán z mešity Al-Azhar v Káhiře - Egypt”.
It is impossible to judge which is right, so “Al-Azhar Cairo” is adopted,
because this is convenient to distinguish from “Masjid Al-Aqsa – 2”.

All of them are wonderful, although a few have some cough or noise.
The most recommended one is “Al-Azhar Cairo (Masjid Al-Aqsa – 1)”.
Selecting Random and Repeat would be also fine.


・Relative Article
沈黙の音を聴け (“Listen to the Sound of Silence”, Japanese) It also mentions of Adhan.


・Used Software
Raster image editing GIMP 2.6.3
Animation creating Sqirlz Morph 2.0
Flash creating ParaFla 1.37 (Japanese version only)
Vector image editing ParaDraw 0.3a4 (Japanese version only)
Sound file converting iTunes 8.0.2.20, dBpoweramp Music Converter

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2009/01/28 (Wed) 21:00

マイ箸は本当に必要か?

マイ箸の環境問題に対する有効性を調べてみました。
結論から書くと、現時点ではある程度有効だと考えられます。


・割り箸の使用状況と生産状況

割り箸の使用量は1960年頃から急激に増え、
2000年頃の使用量は1960年頃の約5倍になっています。
一人当たりの使用量は年間約200膳になります。

chop_graph_1.gif


割り箸の生産地についてですが、1985年頃まではほとんど国産でしたが、
その後輸入が増え、2000年頃にはほとんどが輸入となり、
そのほとんどが中国からの輸入です。

chop_graph_2.gif



輸入が増えた理由は、東南アジア・中国などの木材が安くなり、
日本の林業が廃れてきたのが最大の理由です。
そして割り箸も中国の安い人件費に負け、日本の工場は次々に閉鎖されていきました。


・割り箸の環境への負荷

国内で割り箸が生産されていたころは、実は環境負荷はほとんど掛かっていませんでした。
国産の割り箸は、ほとんどが端材や間伐材などの低利用木が使われていたからです。
間伐材とは森を育てるために必要な間引きのことで、間引きされた木材は利用価値が低く、
割り箸は不用品の有効利用でもありました。

しかし、中国で割り箸が生産されるようになると状況が変わります。
中国では間伐材を使わず、森の木を一斉に切り倒して使い、
義務化されている伐採後の植林も行われず、環境に負荷を掛けるようになりました。


・対策

1.割り箸そのものの使用量を減らす
2.低利用木の利用により、同じ量の割ばしを作るのに切る木の量を減らす
3.規制により、同じ量の割ばしを作るのに切る木の量を減らす
4.使用済みの割ばしをリサイクルにまわす

2と3については、中国で起きていることなので、なかなか難しいようです。
日本ができる対策としては、輸入規制が考えられます。

4のリサイクルというのは、相手が割り箸ですから上手くいかないでしょう。
おそらく燃料にするのが一番で、それでは伐採を減らすことはできません。

そうなると、やはり1の割り箸の使用量を減らすことが有効と考えられ、
マイ箸を持つことに意味があることになります。

しかしもっと根本的な対策は、飲食店で洗い箸を使うことです。
他の食器は全て洗って何度でも使っているのに、箸だけできないはずはありません。
また持ち帰り弁当の場合は、割り箸を有料にすることです。


・将来もマイ箸は有効か?

飲食店の大多数が割り箸ではなく洗い箸を使うようになれば、
マイ箸を持つ必要はなくなっていきます。

また、中国が割り箸を含む林業について対策をとり、間伐材などを使うようになった場合も、
マイ箸を持つ意味はなくなります。

さらに、日本とアジア各国の経済格差がなくなり、
日本の林業が復活して端材や間伐材が増え、
それを割り箸に回した場合も、マイ箸の必要はなくなります。


・経済格差の解消の必要性

現在日本では木材を切っていません。それが実は日本の森を荒らしています。
日本の林業を復活させるためには、経済格差をなくす必要があります。
そうなると我々の生活は、今より制限されますが、もともと経済格差は不公平であり、
環境問題、貧困問題など、さまざまな問題を引き起こしているので、
痛みを享受する覚悟が必要だと考えられます。


次回はマイバッグは本当に必要か?について検討します。


※以下のHPより情報を要約し、筆者の見解を述べました。
詳細は割り箸から見た環境問題をご参照ください。

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2009/01/31 (Sat) 21:00

マイバッグは本当に必要か?

前回マイ箸は本当に必要か?で、マイ箸がある程度有効であることを述べましたが、
今回はマイバッグが本当に必要かについて検討します。

結論から書くと、 マイバッグ派の方には申し訳ありませんが、
マイバッグは必ずしも必要ではありません。


・筆者の方法

スーパーでは、使いまわしの効くサイズのレジ袋をもらいます。
最も使いまわしが効くのは、普通にくれるサイズのレジ袋の内、一番大きなレジ袋です。
ただし場合により使いまわしの効くサイズが異なる場合があるので、
時と場合によります。

次に買い物に行くときには、 前回もらったレジ袋を持っていきます。
ポケットや鞄などに入れられるので、邪魔にもなりません。
ヨーロッパではレジ袋は有料なので、ほとんどの人がこうしています。

何回か使うと汚れたり痛んだりしますので、ゴミ袋に使います。
そしてまたレジ袋をもらいます。

こうすると、大掃除などの場合を除き、ゴミ袋を買う必要がありません。
レジ袋をもらわなくても、ゴミ袋を買って使っているならあまり意味がありません。

レジ袋を持っていくのを忘れた場合など、レジ袋を持っていない場合は、
レジ袋をもらい、予備として家に置いておきます。
いずれは必ず使うので、無駄にはなりません。


・資源の無駄にはならないか?

石油というのは、単一の成分で出来ているのではありません。

レジ袋の原料はナフサという成分から、さらにポリエチレンに加工されて作られます。
これはエネルギーとしては使えません。
また他の製品への用途もあまり無いようです。(だからレジ袋は無料なのです)

そして石油の様々な成分からは、その特徴に合わせていろいろな製品が作られ、
石油の需要はそのトータルバランスで決まるので、
レジ袋の需要だけが増えても、石油全体の消費量には変化がありません。

しかしながら日本は、レジ袋の6割弱を輸入しています。
ですから資源の観点から観るとレジ袋を減らす必要はあります。

しかしそれはレジ袋をもらう回数を半分に減らせば良いだけです。
レジ袋を全部無くす必要はありません。
レジ袋を使いまわしするのであれば、マイバッグを持つ必要はありません。

マイバッグを使っても、ポリエチレンゴミ袋を買うのであれば、同じことです。
レジ袋を紙に変えた企業もあるようですが、
ポリエチレンより、木材からできる紙の方がある意味では貴重です。


・廃棄物汚染の影響は?

ポリエチレンは燃やしても基本的に無害です。
CO2は発生しますが自然分解しないので、燃やすのがおそらく一番です。

発生するCO2の絶対量を聞くとびっくりしますが、相対的には大した量ではありません。
ポリエチレンは最終的になんらかの方法で処理しなければならないので、
総合的に考えて燃やすのが一番です。

ごくわずかの有害物質が検出された例もあるようですが、
おそらく他のゴミに含まれる、同じ成分の有害物質の方が影響が大でしょう。

またそれらの有害物質に対しては、清掃工場には対策設備が付いています。
レジ袋だけ心配する必要性はないと考えられます。

最も影響が大きいのは、河や海に捨てられた場合でしょう。
魚などがレジ袋を飲んで死んだという報告例もありますし、
海岸などのゴミは見苦しいものです。

ポリエチレンは石油精製の過程で必ず発生し、また自然分解しないので、
ゴミ袋として燃やしてしまうのが、おそらく一番の処理方法です。
(不燃ゴミの袋は燃やせませんが)


・有料化は必要

レジ袋が無料でも、全ての人が使いまわしを実行できるなら問題ありませんが、
実際にはそうはいきません。
レジ袋の有料化は必要だと考えられます。

現在スタンプを押すなどが行われていますが、紙とスタンプと労力の無駄です。
数多くの店がそれぞれのスタンプカードを発行するとなると、
持ってるだけで財布が膨らんでしまいます。

レジ袋は有料化すべきです。


・まとめ

1.レジ袋は使いまわしの効くものをもらう(通常は普通サイズで一番大きなもの)
2.レジ袋は何回か使いまわす
3.最後はゴミ袋として使う
4.使いまわしできないレジ袋はもらわない
5.有料のゴミ袋は大掃除など以外では使わない
6.レジ袋は有料化する

こうすればマイバッグは要りません。

もちろんマイバッグは害があるわけではないので、
使いたい人が使う分には問題ないと思います。
また条例などにより、レジ袋でゴミ出しできない地域の場合などは、
マイバッグが必要でしょう。


もっと根本的な問題は、石油は有限なので、いつかは無くなるということです。
それまでに代替エネルギーを開発すれば良いと、
安易に考えている方も多いと思いますが、
現在石油起源のエネルギーを全部代替できる方法は見つかっていません。
いろいろな方法を組み合わせてもおそらく不可能でしょう。
ですから、エネルギーをそれほど使わなくても済むような
生活スタイルの確立が必要だと考えられます。
その意味では今からマイバッグをもつことは有効ですが、
ゴミ袋にポリエチレンを使っていては根本解決になりません。

根本的な問題から目をそらせされるようなプロパガンダに乗ってはいけません。


※今回調べた中で、石油科学について以下が参考になりました。
石油からポリエチレンやその他が作られる過程が、視覚的に理解できます。
石油化学製品はこうしてつくる

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