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2009/06/03 (Wed) 21:00

瞑想できているか?(ヴィパッサナー篇)

前回瞑想できているか?(サマタ篇)で、
サマタ瞑想ができているかどうかの判定基準を書きましたが、
今回はヴィパッサナー瞑想ができているかどうかの判定基準です。

サマタ瞑想では、思考・感情が少なければ少ないほど良いのですが、
ヴィパッサナー瞑想ではそうとは限りません。

ヴィパッサナーは自分自身を観察し、気づき、実感として理解することです。
つまり「自覚」です。

無意識ではなく、自分の状態を意識して自覚できているかどうかが、
ヴィパッサナー瞑想ができているかどうかの基準となります。

しかしそれでも思考・感情は少ないほうが良いです。
なぜならその方が微妙なものを精密に観察できるからです。

もし自分というものが存在するという錯覚が生じる過程を詳細に観察できれば、
あるいは自分というものが本質的に存在しないということを洞察できれば、
完全にヴィパッサナーができていて、それが覚り(大悟)だとされています。

参考記事
瞑想学基礎
ヴィパッサナーで観るもの
悟りとは何か?
サマーディは覚りに必須か?
般若心経は瞑想の勧め

シリーズ記事
瞑想できているか?(サマタ篇)
瞑想できているか?(ヴィパッサナー篇)
瞑想できているか?(総合篇)
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2009/06/06 (Sat) 21:00

瞑想できているか?(総合篇)

前々回瞑想できているか?(サマタ篇)で、
前回瞑想できているか?(ヴィパッサナー篇)で、
どのような状態が瞑想できているかの判断基準を解説していましたが、
サマタ、ヴィパッサナーを意識して区別して瞑想している場合は別として、
一般にはどちらかを区別せずに瞑想していることが多いと思います。
実際両者ははっきりと区別できるものではないのです。

サマタ瞑想の判断基準は「無心」でした。
八正道では正定にあたります。
ヴィパッサナー瞑想の判断基準は、「気づき、自覚」でした。
八正道では正念にあたります。

では総合的に見てどういう状態が瞑想できているかの判断基準についてです。

先ず第一にサマタ、ヴィパッサナーどちらでも雑念・妄想が無いということです。
雑念・妄想とは、脈絡も意味も無い思考・感情・ヴィジョンなどです。
これが少なければ少ない程良い瞑想ができていると言えます。

第二の基準は、雑念・妄想以外の思考・感情も少なく(サマタ)、
かつ気づき・理解を伴っていることです(ヴィパッサナー)。

快感があるとかないとか、ヴィジョンが見えるとか見えないとかは関係ありません。

理想的な状態は全く無心で意識だけがあり、
かつ本質的には自己は存在しないと実感できている状態です。

以上で瞑想できているか?のシリーズを一旦終了します。

シリーズ記事
瞑想できているか?(サマタ篇)
瞑想できているか?(ヴィパッサナー篇)
瞑想できているか?(総合篇)

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2009/06/10 (Wed) 21:00

仏教の語源

仏教(Buddhism)、仏陀(Buddha)の仏とは、
budh という語源に帰着する buddhi=知性に由来します。
他にも菩薩(bodhisattva)=完全に目覚める用意のできた者、
菩提(bodhi)=目覚め・覚り、なども同じ語源から来ています。

budh には少なくとも5つの意味があります。
1.眠りから目を覚ますこと
2.認識する、気づく、通じる、注目する、心にとめること
3.知ること、理解すること
4.悟ること
5.洞察すること

ですから仏教とは知性教と言っても良いのです。
そしてブッダはそのとおり知性を使って覚り、
また自分の言うことでさえ鵜呑みにして信じるなと言っています。

ここで注意すべきことは、知識は知性ではないということです。
なぜなら知識とは先入観に他ならず、
気づくこと、あるがままを理解すること、洞察すること、悟ることの妨げとなるからです。
ですから、知性は必要ですが、余計な知識、つまり先入観は不要です。
今をありのままに観ることが大切です。

ちなみによく日本で使われる菩提を弔うという言葉は、
本来の菩提(bodhi)の意味からすると意味不明な使い方です。

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2009/06/13 (Sat) 21:00

シンクロニシティ

最近シンクロという言葉を使う人が多いですね。
たまたま誰かと似たような体験をしたりすると、
「あっ、それシンクロだね」とか言ったりします。

世界は見えない部分で繋がっている。この考えはある程度正しいです。
しかし、何もかもが密接につながってシンクロしているという考えは間違っています。

原因と結果という法則があり、
この結果にはこの原因があり、
あの結果にはあの原因があり、
お互いに無関係なのかもしれません。

工学の世界ではそれを切り分けと言い、とても重視します。
不具合が発生したとき、何が原因なのかを突き止めるため、
原因でないものを消去法で取り除いて、本当の原因を突き止めるのです。
そこでシンクロなんて言っていては何の解決にもなりません。

例えば Internet Explorer と Fire Fox で似たような不具合が発生したとします。
それをシンクロなどで済ますことはできません。
それぞれ個別の原因があるのです。

工学に限らず、全てをシンクロで片付けてしまうと、
因果関係に対する考察を放棄することになってしまいます。
また無関係な原因を無関係な結果と結びつけて考えるようになり、
思考が混乱し、なんでもかんでも原因を一元化してしまい、危険でもあります。

筆者自身体験があります。
無関係に起きた物事を全て結び付けて考えてしまい、頭がおかしくなりました。

この思考の混乱は一種の妄想であり狂気であり本当に危険なので、
よくよく気をつける必要があります。

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2009/06/17 (Wed) 21:00

言語のない思考

言語を使わない思考というのは存在するのか?
この問いに対する回答です。

通常人間は言語を使って思考します。
しかし言語を使わない思考というのも存在します。

例えばスポーツで、
相手がこう来たらこう対応する、
相手がああ来たらああ対応する、
などと一瞬にして考えます。

しかしそのとき言語化していては間に合いません。
明らかに思考しているのですが、言語は使っていません。

イメージを使って思考してるとも言えるでしょう。
この場合のイメージは視覚的イメージに限りません。
五感どれもがイメージとして成り立ちます。

また動物の場合を考えて見ましょう。
動物も思考しているのは明らかです。
しかし彼らは言語を持っていません。

従って、言語を使わない思考というのは、
言語を使う思考に先立つ原初的・根本的な思考だと考えられます。

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2009/06/20 (Sat) 21:00

トリグナ

ヒンドゥーではエネルギーの状態を3つに分けた、
トリグナという言葉をよく使います。
トリとは3の意味で、グナとは性質・状態の意味です。

・タマス(怠性、怠惰、無知) 不活発な状態
・ラジャス(動性、激動、激情) 荒い状態
・サットヴァ(純粋性、神聖な質、清) スムーズな状態

通常は心の状態を指しますが、
心に限らずエネルギー・状態は全てどれか3つに分類できます。

交通状態の例
・タマス 渋滞
・ラジャス 信号のあるゴーストップが繰りかえされる道
・サットヴァ 高速道路、田舎の信号のない良道でのクルージング

この3つは厳密に分けられるわけではありません。大雑把な分け方です。
食べ物にもタマスを増す物、ラジャスを増す物、サットヴァを増す物などがあります。

サットヴァの状態は微妙なチューニングとも言えます。
あまりにもスムーズなので何もしていないように、
止まっているように見えることさえあります。

自分の心の状態を観察して、
サットヴァの状態を保てるようにすることが重要とされています。

ヒンドゥー  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  ↑Top

2009/06/24 (Wed) 21:00

瞑想は幼子の直観

jesus_child.jpg


瞑想とは直観です。
何の予備知識も先入観もなく、ただあるがままを直に観ることです。

子供のころをよく思い出してください。
お客に来た夫婦の仲が良いとか悪いとか、
この人は見かけによらず恐い人だとか良い人だとか、
難しい理論で理論自体は理解できなくても、
それを説いている人自身が本当に理解しているとかいないとか、
即座に見抜くことができたはずです。
(もちろん100%ではなく、はずれることもありますが)

しかし大人になると知識や思考で心が汚れ、本質が見抜けなくなってきます。
瞑想とは知識や思考なしに本質を見抜くことです。

イエス・キリストは言いました。
「人は幼子のようにならなければ天国に入ることはできない」

難しい事を考えず子供心に帰って、素直に物事や自分自身を直観してみましょう。

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2009/06/27 (Sat) 21:00

ヨガの基本

今回はヨガ(ハタヨーガのアーサナ)の基本についてです。
基本さえ理解していれば、
どんなポーズでも強度や角度などを自分で変えることにより、
効果的にアーサナをすることができます。

ただしここに書くのはあくまでも原則であって、例外もありえます。

・呼吸に合わせて動く
動作をするときには呼吸に合わせて動きます。
呼吸が動作を導くように動きます。
原則として体を開く動作、上方に動かす動作のときは息を吸い、
体を閉じる動作、下方に動かす動作のときは息を吐きます。
ただし原則の呼吸の方法が不自然に感じるときは、
自然に感じる呼吸で行います。

・呼吸を止めない
呼吸は止めないようにします。
呼吸ができなくなったり浅くなったりするのは強度が強すぎなので、
その場合は少し緩めて、深い呼吸ができるようにします。
ただし、クンバカという意識的に呼吸を止める技法もあります。

・ストレッチされている部分を意識する
漠然とストレッチするのではなく、ストレッチされた部分をよく観察します。
意識していると意識している部分の、
緊張具合や感覚が変化していくのを感じるはずです。
その感覚を大切にします。
ストレッチを感じる部分が分散され意識も分散されてしまっている場合は、
ポーズのとり方、力の入れ具合抜き具合が間違っている場合が多いです。
分散されたストレッチが繋がるように意識します。

・呼吸を吸うとき吐くときの意識の持ち方
吸うときは意識している部分に清浄な空気を入れ、
吐くときは意識している部分の汚れを洗い流す気持ちで呼吸をします。
また、吐くときに力を緩め、吸うときに少し緩みを戻す感覚で呼吸します。

・ポーズが終わった後は休憩する
一つのポーズが終わったらシャヴァアーサナ、マカラアーサナなどで休憩をします。
このときは、いままでストレッチされていた部分に意識を集中します。
すると、その部分の感覚が変化していくことに気づくはずです。
アーサナのポーズは、ポーズ自体とポーズの後の休憩、
つまり緊張とリラックスを観察することで1セットです。
ポーズの後の休憩はおろそかにされることが多いですが、
休憩も含めて1セットだということを忘れないようにしましょう。

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