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2010/04/07 (Wed) 21:00

祈りの宗教・瞑想の宗教

世界で人口の多い4大宗教は以下の順です。
キリスト教 35%
イスラム教 19%
ヒンドゥー教 14%
仏教 6%
(出典 世界の宗教人口

これらは大きく2つに分類できます。
唯一神を信じ祈りを重んじる宗教と、
汎神論または無神論で瞑想を行うことにより悟りを目指す宗教です。
他力本願と自力本願とも言えます。

祈る宗教はヒンドゥー教的分類によれば、バクティヨーガとも言えます。
献身によりエゴを無くしていこうとする修行です。

さてこれら2つのタイプですが、人間にも2つのタイプがあります。
他力本願で祈る人と、自力本願で瞑想する人です。

祈る宗教の中にも瞑想する人はいます。
沈黙の祈りと称する願い事を念じない祈りで、これは一種の瞑想です。
瞑想の宗教の中にも祈る人はいます。
念仏や題目がその典型ですし、仏教徒でもブッダに祈ったりもします。
(念仏や題目でも祈らない場合はマントラ瞑想の一種です。)

祈るか瞑想するかは本来人間のタイプによって生じるもので、
生れついたときの宗教によって分けられるべきものではありません。
自分がどういうタイプなのか見直してみてはいかがでしょうか?
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2010/04/10 (Sat) 22:00

人間は祈る動物である

前回祈りの宗教・瞑想の宗教で、
祈るタイプの人と瞑想するタイプの人がいると書きましたが、もう少し考察です。

人間とは祈る動物なのです。
神を信じない人でも大ピンチが訪れると、
「助けてくれ、なんとかしてください」と祈ります。
筆者にも経験があります。
祈る対象は何かというと、やはり超自然的な力、すなわち神なのです。

なぜ人間は祈るのでしょうか?
筆者は赤ん坊のときの体験が大きいのではないかと推測します。
赤ん坊は自分では何もできませんから、祈りを込めて泣くのです。
すると大抵の場合は、赤ん坊にすれば奇跡的な力が助けてくれるのです。
奇跡的な力は本当は親とかですが、とにかく奇跡が起きるのです。

この何度も体験した奇跡を、成長してからも成長してからも憶えている、
それが人間が祈る理由だと言うのが筆者の推測です。

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2010/04/14 (Wed) 21:00

賢者は一度だけ恋に落ちる

賢者は一生に一度だけ恋に落ちる

オショウ(ラジニーシ)のTAOを読んでいたらこんな言葉がありました。
つまり賢者は恋愛で駆け引きや躊躇や逃避したりせず、全面的に体験し理解し、
二度と同じことをしないという意味です。

オショウ独特の寓話だと思いますが、さもありなんと思いました。
考えてみればブッダもそうです。
妃ヤショーダラと一度だけ恋に落ちています。

オショウが強調するのは、生を体験する、
それも善悪などの判断をせず全面的に体験するということです。
そして体験から学ぶということです。

しかしオショウの言う体験から学ぶというのは通常の意味とは違います。
通常体験から学ぶというのは、過去を振り返り未来に生かすという意味ですが、
オショウの体験とは今ここで完全に覚めていることです。
今ここで完全に覚めていれば、知識は何も必要ではないのです。
他人が恋愛はすばらしいと言おうが、恋愛は愚かしいと言おうが、
恋愛中の当の本人にとっては何の役にも立たないのです。
むしろ判断の要素を持ち込む知識は有害でさえあります。
他人が言えることは判断せず全面的に体験しなさいというくらいのことでしょう。
自分自身で全面的に体験し理解すること、それが本当の智恵なのです。

体験を全面的に観察し味わう、ある意味、究極のヴィパッサナー瞑想だとも言えます。

関連記事
修行者は恋愛を避けるべきか?
欲求と欲望
自分自身を誤魔化してはいけない
オショウ(ラジニーシ)は欲望怒りを肯定しているか?


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2010/04/21 (Wed) 21:00

怒りの瞑想

つい最近あるブログである方が、
激しい怒りを感じてトラブルを起こしそうなのですがどうしたら良いですか、
という質問をしていました。
多くの方が回答していたので筆者も回答することにしました。

他の方々の回答は怒りは悪なのでコントロールすべきだというスタンスで、
怒りをコントロールしたり抑える方法などを書いておられたのですが、
筆者は日ごろから善悪の判断をせず自分を観察することが瞑想だというスタンスなので、
他の回答には簡単に同意いたしかねる部分が多々ありました。

しかし質問された方の事態は深刻だったので、体験に基づかずに回答する訳にもいきません。
幸か不幸かそのとき筆者も大きな怒りを抱えていました。
先ず自分独りで徹底的に怒り、それを日ごろより深く徹底的に観察することにしました。
思考、感情、身体感覚など、何が怒りなのかを数時間かけて観察しました。
何が理解できたのか、何が起きたのかは、先入観になるのであえて書きませんが、
その結果、自信を持って回答することができました。

激しい怒りはチャンスです。
逃げずに怒りを徹底的に瞑想することをお勧めします。

なお質問された方は、慈悲の瞑想で怒りを静めて解決されたそうです。
この方法も優れていると思いますので、
怒りが起きたらどちらかの方法をとると良いでしょう。

関連記事
汝の敵を愛せよ
自分自身を誤魔化してはいけない
オショウ(ラジニーシ)は欲望怒りを肯定しているか?

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2010/04/24 (Sat) 21:00

思考を止める恐怖

瞑想とはある意味、思考を止めることですが、
たぶん思考を止めることに恐怖を感じる人もおられると思うので、
今回はそのことについてです。

思考を止めることに恐怖を感じるのは、筆者も経験があります。
まだ瞑想とかよく知らない中学生とか高校生の頃、
試しに思考を止めてみようと思ったのですが、とても恐怖を感じました。

もし止めてしまって再び思考できなくなったらどうしようとか、
再び思考し始めることができたとしても記憶喪失になったらどうしようとか、
本当に思考を止められるのかどうかとか、
そんなことをしていたら気が狂うのではないかとか、
思考をしないというのは人生の無駄ではないかとかです。

しかし心配はいりません。
最近のコンピュータは使わないときにはCPUを休ませることができます。
人間の思考も同様です。
必要のないときには止めても何も問題ありません。
科学的に見ても思考はエネルギーを消費し糖分の補給が必要となるので、
必要のないときには休ませるべきです。
また、思考しないというのは人生の無駄ではないか、これも心配いりません。
思考というのは無駄なことを考えていることが多いのです。
適当に休ませることによって、より効果的に使えるようになります。

しかし無理に思考を止める努力をする必要はありません。
気づいていないだけで思考が止まっていることは誰にでもあるのです。
正しい瞑想法を行えば、それに気づくことができ、
また自分で思考を止めることも簡単にできるようになります。

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2010/04/28 (Wed) 21:00

思考を止めるメリット

前回思考を止める恐怖で、思考を止めても怖れるような問題はないことを書きましたが、
今回は思考を止めるメリットについてです。

ここで思考とは特に、言語を使った思考を指すことにします。
言語を使わない思考については、過去記事言語のない思考をご参照ください。

思考を止めると何が良いのでしょうか?
思考を止めるとは、もちろん全く思考をしないという意味ではありません。
必要な時は思考を使うべきです。
しかし四六時中思考をするのは避けるべきだという意味です。

必要のない時の思考とは、通常雑念や妄想なのです。
雑念や妄想とは、特に意味も脈絡もなく、連想記憶式に続いています。
多くの人が雑念や妄想に一日の大半の時間を費やしているとされています。
この雑念や妄想を止めることは大きなメリットがあります。

思考はエネルギーを多大に消耗し疲れるので、エネルギーの消耗を防ぐことができます。
思考を休ませることによって、かえって思考を有効に使うことができます。

また雑念や妄想は欲望や恐怖と結びついていることがほとんどなので、
余計な欲望や恐怖に振り回されることが少なくなります。
雑念や妄想は不眠症や摂食障害などの元になる場合もあるので、
それらから解放されるかもしれません。

そしてなにより、思考というのは過去の記憶の反復なのです。
現在この瞬間を思考することはできません。
必ず、たとえ一瞬であっても思考は過去のものです。
そして過去の記憶に基づいた言語を使って思考されます。
ですから思考しているかぎり、現在この瞬間を本当に味わうことは困難です。

また思考そのものからは新しいものは生れてきません。
思考から生れてくるものはせいぜい、過去の記憶の整理や組み合わせに過ぎないのです。
新しいひらめきというのは、思考の切れ目にやってくるのです。

思考は必要です。
しかしそれは道具に過ぎません。
無駄な思考を止めることは、道具や記憶に振り回されることからの解放であり、
現在ありのままを生きることに直結していくのです。

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