QLOOKアクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告  |  ↑Top

2012/06/01 (Fri) 18:00

一切皆苦は絶対間違い

筆者はかねてより、一切皆苦は間違いではないかとこのブログに書いてきましたが、筆者自身としては間違いだと証明できたので、書くことにしました。

実は先週より入院して、今日退院しました。入院より3日間は絶食で点滴のみでした。テーラワーダ仏教(上座部仏教、南伝仏教)のよくある理論ではこういう理屈が述べられます。空腹は苦であり、苦を癒すために食べると一見楽に見えるが、満腹になるとそれ以上食べられなくなり食べることも苦である。従って空腹も満腹も食べる事も食べない事も苦であり、一切皆苦である。

しかし、筆者の点滴中の観察によると、それは間違いであると証明できました。点滴中はお腹は空いているものの、特に食べたいとは思わないのです。もちろんたまに食べ物のことを思い出して、点滴が終わったら美味しいものが食べられるな、とかは思いますが、では今食べたいかというと、食べたいとは思わないのです。ただお腹が空いているという感覚があるだけです。分かりやすい例で言えば、仕事や勉強やスポーツなどに熱中していて空腹を感じても、ただ空腹なだけで、後で食べようと思うだけで、今食べたいとは思わないのと同じ感覚です。この感覚が3日続きました。点滴は数日で終わるだろうとは言われていましたが、いつ終わるかは分かっていませんでしたが、早く点滴が終わって欲しいとも思わず、筆者はお腹が空いているのに食べたいと思わない感覚を観察して楽しんでいました。そして4日目はお粥食で、5日目は検査のためまた絶食になりましたが、食事も2回目の絶食も楽しめました。

一切の物事は、楽または快に思えても苦に変わる可能性がある。だから執着してはいけない。そういうことならば実に正しいです。しかし、一切の物事は苦でしかなく、苦を感じていないのは観察や気づきが足りないというのは、間違いであると断言できます。苦というのは、常に変化する物事、無常である物事をどう捉えるかです。現在の状態を苦しみであると感じる、あるいは不満を感じている、執着を感じていれば苦となります。足るを知り、現在の状態に満足していて、かつ執着もしていなければ、原則として苦ではありません。(ただし本当の苦しみは除きます)。それを、あなたが苦を感じていないのは、何も分かっていないのだ、というのは余計なお世話です。感覚、感じ方というのは人それぞれなのです。苦だと思えば苦になるし、苦ではないと思えば苦にはならないのです。

また、一切皆苦を悟れば一切の苦を滅することができる。この理屈は明らかに矛盾しています。一切に苦を感じていれば苦しか残りません。そしてまた、全ての物事は無常であり変化しているのに、苦だけが実体として存在している。この理屈も矛盾しています。


ではブッダの説いた苦とは何なのでしょうか?2つの側面を指摘しておきます。

1つは、苦だと思わないようにしていてもやはり避けられない苦が存在するということです。そしてそれは主に執着によって生じるということです。

もう1つは、三相(無常、苦、無我)と言われる、勝義諦(究極の真実)としての苦です。つまり不安定で空しいという意味です。この場合の苦は、仏教用語の無常が、常に変化するという事実を淡々と述べただけで、ああ無常だ侘しいなどという意味が無いのと同様、苦しい、嫌だ、という意味は無いと考えられます。無常、苦、無我の3つをセットにすると、全ての物事または思いというものは、無常であり(常に変化し)、苦であり(不安定で空しく)、無我である(それ自体で実体として存在しない)となります。
詳しくはこちらをご参照ください。
一切皆苦はやっぱり間違い
一切皆苦の矛盾

一切の物事は苦になる可能性がある。だから楽や快に思えてもそれに執着してはいけない。ブッダの表現とはやや異なりますが、ブッダが説いたのはそういう意味でしょう。一切に苦を感じなければならない。そうでなければ悟れない。これはただの自虐思想であり、かつ明らかに間違いです。

それでももし万一ブッダが目の前に現れて一切皆苦を説いたとしたら?

冷静に微笑んで横っ面をひっぱたいてやるくらい、絶対に間違いだと断言できます(微笑)
スポンサーサイト

瞑想・慈愛  |  トラックバック(1)  |  コメント(25)  |  ↑Top

2012/06/10 (Sun) 23:00

ブッダを乗り越える

ブッダを乗り越える。今回は大きく出ました(笑)。どういう意味かを解説していきます。

親孝行の内最大のものは、親の教えを基礎にしながらも、自分で体験し学び考え、親を乗り越えていくことだと筆者は考えます。親に頼り親の教えにただ従い、自分自身で判断できずいつまで経っても精神的に独立できない、こういうことは心ある親なら決して望まないでしょう。

ブッダについても同様だと思います。ブッダの教えを基礎にしながらも、自分で体験し学び考え、ブッダを乗り越える。もちろん本当にブッダを乗り越えることは不可能でしょうが、それでもそれくらいの気概がなければ、本当にブッダに対する親孝行だとは言えないでしょう。いちいちブッダはこう言っているからとか、ブッダの教えに絶対に異論を唱えていはいけないとか、それは思考停止であり、ファザコンまたは奴隷です。

ブッダは決して我々をブッダの奴隷にするつもりは無かったはずです。反対に自分自身で体験し学び考え、自分自身で判断できる、そういう人間になることを望んでいたはずです。それはブッダの遺言にも表れています。

ブッダが亡くなる時、弟子のアーナンダがブッダに尋ねました。
「ブッダよ、あなたが亡くなったら我々はどうしたら良いのでしょうか?」
ブッダは答えます。
「先ず法(ブッダの教え)を頼りにしなさい。」
これは法灯明と呼ばれます。
「次に自分自身を頼りにしなさい。もし私の教えと自分自身による体験・考察が異なっていた場合は、自分自身に従いなさい。」
これは自灯明と呼ばれます。

先ず法を頼りにする。つまりブッダの教えを基礎とする。そして次に自分自身を頼りにする。つまり応用です。そして法灯明と自灯明が矛盾する場合は、自灯明を優先させろとはっきり言っています。つまり自分の判断を信じなさいという意味です。決して盲目的にブッダの教えに従い、ブッダの奴隷になれとは言っていません。

この意味では、ある意味在家の方が有利で、出家の方が不利だとも言えます。出家には伝統を未来に伝えるという役目もあるからです。しかし出家であってもブッダの教えを基礎としながらも、自分自身の体験・観察・考察による判断を優先させた人はいます。例えばポー・オー・パユットー師です。出家にしても在家にしても、法灯明と自灯明の両方を実践する事は可能です。

ブッダは基本的に、己自身で苦を滅していくことを説いています。しかしそれで世界は平和になったかというと、そうではないことは歴史が証明しています。インドでは、いやインドだけでなくスリランカでもミャンマーでもタイでも仏教自体さえも一旦ほとんど滅んでしまいました。従来の仏教が完璧ではないことは明白です。プラユキ・ナラテボー師は、これはブッダが我々に残した課題だと言っています。つまり自分だけでなく他人も幸福にし、世界に平和をもたらす。これがブッダの残した課題であると言っています。そしてそれに貢献できれば、ほんの小さな部分でもブッダを乗り越え、ブッダに対する親孝行になると筆者は考えます。そのためにも自灯明、これが非常に大事だと筆者は考えます。


瞑想・慈愛  |  トラックバック(1)  |  コメント(9)  |  ↑Top

2012/06/14 (Thu) 22:00

プラユキ・ナラテボー瞑想会

2013年11月のプラユキ・ナラテボー講演会・瞑想会の案内はこちらです。
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-269.html

プラユキ・ナラテボー師指導による瞑想会を開催します。

平日の夜の時間を有効に使い、講演会なしで瞑想会の時間を長めにとった、瞑想に特化した会です。今まで講演会を受講して瞑想を始めようと思ったけど一人ではなかなかできない、一人でやっているけど指導を受けなおして確かめたい、一人で瞑想するのも良いがみんなと一緒にもやりたい、そういう方々に最適です。もちろんプラユキさんと触れ合いたい、リラックスしたい、理屈抜きで瞑想をやりたい、そういう方々や、今まで瞑想など全くやったことないけど始めてみたい体験してみたい、そういう方々も歓迎です。みなさまのご来場お待ちしております。

なお参加希望の方は、注意事項等が書いてありますので、最後までお読みください。

【日時】
2012年7月13日(金) 18:30-20:45
2012年7月20日(金) 18:30-20:45

片方のみの参加も可能です。

【会場】
烏山区民センター2階大広間(69畳)
東京都世田谷区南烏山6丁目2番19号
03-3326-3511
京王線千歳烏山駅徒歩2分

地図はこちらです。
ここをクリック

【スケジュール】
18:30 受付開始
18:45-20:15 瞑想会
20:15-20:45 質疑応答

進行の都合上若干の変更がある場合もありますが、どんなに長引いても21:00までには終了予定です。

【参加費】
各2000円(当日受付にてお支払いください)
学生の方、障害者の方、生活保護の方、失業中の方など、経済的に余裕のない方には割引制度があります。各1000円とさせていただきます。経済的に余裕のない方は受付の際にお申し出ください。自己申告で書類等を確認することはいたしませんが、経済的に余裕のない方に限ります。

【定員】
特にありません。

【申込方法】
申込不要です。当日直接会場へお越しください。

【受付方法】
受付では参加費をお支払いいただき、参加者名簿に記帳をお願いします。
今まで烏山瞑想会主催の講演会・瞑想会に参加されたことのある方、または烏山瞑想会を通じて個人面談を受けた方、お問い合わせをいただいたことのある方はお名前だけで結構です。
それ以外の方は、お名前(必須)、ふりがな(必須)、ご住所(必須)、メールアドレス(任意)の記入をお願いします。ご住所は市区町村名までで結構です。メールアドレスは今後烏山瞑想会主催のイベントのお知らせを受信したくない方は、記入されなくて結構です。メールでのお知らせは、主にプラユキさんが来日された時の烏山瞑想会主催のイベントのお知らせで、それ以外のお知らせは基本的にないので、年に数回とお考えいただいて結構です。

【席について】
席は座布団が置いてあり自由席ですが、なるべく前の方から詰めてお座りください。特に後ろの2列は、遅れてくる方とスタッフのために空けておいてください。遅れて来た方は後ろの方の空いている席の中で、できるだけ前の方に詰めてお座りください。なお座布団はありますが、座りなれた座蒲をお持ちいただいても結構です。

【服装について】
和室で座りやすい服装でおいでください。更衣室等はありません。トイレの清潔度は普通です。普通の服装で座る場合は、ズボンやスカートのボタンを外すと楽に座れます。女性の方はひざ掛けやショールなどで覆うと良いでしょう。

【質疑応答について】
時間が短いので、質問は手際よく簡潔にまとめてお願いします。特に瞑想についての質問でなくても結構ですが、質問したい方が多い場合は、瞑想についての質問を優先させていただく予定です。なお瞑想会中やり方がよく分からないなどの場合は、即座に質問してくださって結構です。

【休憩について】
瞑想会と質疑応答の間に、短いトイレ休憩をはさみます。誰も休憩に行かれない場合は休憩は取りません。なお瞑想会中にトイレ等に行きたくなった場合は、なるべく他の方の迷惑にならないよう行かれても結構ですが、できれば歩く瞑想中に行かれるようお願いいたします。

【飲み物について】
今回は瞑想会なので飲み物は不要かとは思いますが、飲み物が必要な方はご自分でご用意ください。会場建物内には自動販売機はありませんが、周囲に自動販売機やコンビニエンスストア等はたくさんあります。

【交流会】
会終了後、残りたい方だけ残って、1時間ほど交流会をいたします。途中退席も自由です。飲み物が必要な方はご自分でご用意ください。なお講師は参加いたしませんので、あらかじめご了承ください。

【スタッフ募集】
当日お手伝いをしてくださるスタッフを、各2名募集します。スタッフ希望の方は、以下のメールアドレスまで必要事項をご記入の上お申し込みください。スタッフをやってくださる方には割引をいたします。なお会場準備のため、スタッフの集合時間は18:15を予定しておりますので、それまでに来られる方に限らせていただきます。交流会については残っていただければありがたいですが、必ずしも残る必要はありません。
メールアドレス mercy.wisdom.1@gmail.com
メールタイトル スタッフ希望
お名前(ふりがな)
ご住所(市区町村名までで結構です)
希望日付
携帯メールアドレスと電話番号

【お問い合わせ】
以下のメールアドレスまでお問い合わせください。
メールアドレス mercy.wisdom.1@gmail.com
メールタイトル 問い合わせ

【主催】烏山瞑想会 伴 浩明
当会主催以外の講演会・瞑想会やリトリート(合宿)については、ミクシィコミュニティ「プラユキ・ナラテボー比丘」にかなり集約されていますので、こちらも是非ご参照ください。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=5086426

【講師紹介】プラユキ・ナラテボー
本名、坂本秀幸。1962年、埼玉県生まれ、上智大学哲学科卒。
大学在学中よりボランティアやNGO活動を行い、タイ語を学ぶ。
大学卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学。
1988年、ルアンポー・カムキアン師の下にて出家。
現在タイ国スカトー寺副住職。

【著作】







コラム  |  トラックバック(0)  |  コメント(3)  |  ↑Top
 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。