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2009/11/21 (Sat) 21:00

集中についての考察

以前瞑想は集中ではないで瞑想の本質は集中ではないと書きましたが、
集中について詳しく書いて欲しいというご要望をいただきましたので、
少し難解ですが、集中とは何かについてもう少し深く考察します。

通常集中と呼ばれている行為は以下の2つから成り立っています。
1.対象以外に意識を向けず、対象以外からの情報を「排除」すること
2.対象に意識を向け、対象からの情報を「受容」すること

瞑想は集中ではないでは「集中は排除」「瞑想は受容」だと書きましたが、
その定義によると「いわゆる本当に集中している」状態、
言い換えれば没頭している状態は、
排除と受容の両方のレベルが高い状態だと言えます。

では受容するため、言い換えれば瞑想するためには、
排除、言い換えれば集中は必須でしょうか?
そうとは言い切れません。

例えばスポーツを例に考えて見ましょう。
ボールに意識を向けながら、ボールにいわゆる集中しながらも、
同時に相手の動きも良く見えている場合があります。

つまり意識の幅・大きさが広がれば、
排除なしにより多くのものを受容することが論理的には可能です。

しかし実際には人間の意識の幅・大きさは限られています。
排除する部分が多ければ多いほど、
受容している部分の情報精度が高くなるのが普通です。
従って受容したい部分の情報精度を高くしようとすれば、
必然的に他の部分の排除がある程度必要となります。

従って瞑想(受容)するためには、
集中(排除)から入るのが一般的なテクニックとなります。


結論として以下の事が言えます。
瞑想(受容)するためには集中(排除)は論理的には必須ではない。
しかし実際問題としては精度の高い受容するためには排除が必要となる。

さらに重要な結論として、以下の事が言えます。
排除をなるべく減らし、かつ受容の精度を高めるためには、
意識の幅・大きさを拡大することが必要。
これがいわゆる気づきを増すことであり、意識を高めることでもあります。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  ↑Top

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