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2010/01/13 (Wed) 22:00

オショウ(ラジニーシ)の瞑想

Osho2.jpg

前回クリシュナムルティの瞑想で、
クリシュナムルティが瞑想をどう捉えていたかを書きましたが、
今回はオショウ(ラジニーシ)が瞑想をどう捉えていたかについて書きます。

かなり誤解される可能性があるので書くことを躊躇しましたが、
クリシュナムルティの瞑想に触れてオショウの瞑想に触れないのは片手落ちなので、
(この二人が二十世紀精神世界の最大の偉人なので)
誤解を怖れず書くことにしました。

一切の瞑想「法」を否定したクリシュナムルティに対し、
オショウは様々な瞑想法を考案しています。
またクリシュナムルティが論理的に直線的に瞑想を含めた真理を説こうとするのに対し、
オショウは論理が嫌いで、様々な方便やたとえ話、さらにはジョークなども交えて、
人々の興味を引きつけながら理解させようとします。
一見二人の瞑想は異なっているように見えますが、
実は瞑想の本質については、二人の見解は全く同じと言ってよいでしょう。

オショウはこのようなことを言っています。
「クリシュナムルティは実に正しい。
 私にはそれが理解できる。
 しかしあなた方にはそれは役に立たない。
 だから私は様々な方便を使い、様々な瞑想法を考案したのだ。」

オショウの説く瞑想とは、本質的には観察・理解と静寂・無心で、
本質的にはクリシュナムルティや仏教と同じです。

オショウの考案した瞑想の多くは、
1セッションの瞑想をいくつかのステージに分け、きっちりと時間配分をし、
体を使うものが多いのが特徴です。

体を動かすステージで自己観察をしながらエネルギーを解放させ、
静寂のステージでほっとした気分で伝統的な瞑想を行う、
だいたいそのような構成になっていて、
瞑想初心者でも自然に瞑想できるように合理的に構成されています。

オショウが自己観察とともに重視したのが静寂・ノーマインドです。
クリシュナムルティの言う思考のない状態です。
伝統的にはサマーディや無心と言われる状態です。

しかしオショウは、サマタ瞑想(心を安定させ静寂にする瞑想)と
ヴィパッサナー瞑想(自己観察瞑想)を分けることはしません。
自己観察の中に静寂を求め、静寂の中で自己観察をします。

例えばこんな具合です。
「思考が沸き起こって来ても、空に雲が流れるようにただ見つめなさい。
 雲の切れ目に青い空、静寂を感じることができるだろう。」

オショウはオショウ派の人からも反オショウ派の人からもひどく誤解されていますが、
他の教えと併せて理解するとその素晴らしさがよく理解できます。

最後にオショウの言葉の引用です。

私の方便だけは私の死後でも通用すると思うほど、私はお人よしではない。



関連記事
クリシュナムルティの瞑想
瞑想学基礎
オショウ式ヴィパッサナーの特徴
オショウ(ラジニーシ)は欲望怒りを肯定しているか?

参考URL
OSHO.com メディテーション
http://www.osho.com/main.cfm?Area=Meditation&Language=Japanese



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