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2010/01/16 (Sat) 21:00

オショウ(ラジニーシ)は欲望怒りを肯定しているか?

Osho3.jpg

前回オショウ(ラジニーシ)の瞑想で、
オショウはかなり誤解されていると書きましたが、
最も誤解されていると思われる点について書きます。

よく誤解されるのは、オショウは欲望や怒りを肯定しているという点です。
セックスグルというあだ名もあるくらいです。

オショウは覚れば(大悟すれば)欲望や怒りはなくなるし、
また無くすべきだと言っています。
しかし覚るまでは欲望や怒りはなくならないので、
抑圧して誤魔化すべきではないと言っているだけです。

オショウは自分の考案した様々な瞑想法の中で、
欲望や怒りをカタルシスとしてストレス解消し、
消化し昇華できるように工夫しています。

しかしそれでも解消できない欲望や怒りについては、
日常生活で押さえつけずに体験し観察することにより昇華することを説いています。
例えばセックスするときや怒るときはトータルでありなさい、という表現です。
体験し観察し理解すれば、欲望や怒りは自然に落ちていくものなのです。

オショウが誤解される大きな理由は、
オショウの言葉に過剰な拒否反応を起こした反オショウ派の人たちと、
オショウの言葉を自分に都合の良いように解釈したオショウ派の人たちにあります。

オショウ派の人たちの一部は、言葉だけ「トータルに生きる」と言って、
実際には欲望や怒りをじっくり観察することもなく、欲望や怒りを撒き散らしています。
彼らにとっては「悟っていないからしかたない」というのが免罪符になっていて、
悟っていないから欲望や怒りを他人に対して発散しても良いと思い込んでいます。

しかし以前自分自身を誤魔化してはいけないで書いたように、
本当は外に出さずに自分の内側で欲望や怒りを消化した方が良いのです。

オショウは覚るまでの「過程」として、
欲望や怒りを体験し味わい消化した方が抑圧するより良いと言っているだけで、
いつまでも欲望や怒りを抱えていることを勧めているわけではありません。

関連記事
オショウ(ラジニーシ)の瞑想
自分自身を誤魔化してはいけない
オショウ式ヴィパッサナーの特徴
過去のトラウマを消せない人のための瞑想


瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(3)  |  ↑Top

Comment

No title

>オショウの言葉を自分に都合の良いように解釈したオショウ派の人たち

私の知っていたサニヤシンはほとんどこのタイプでしたので、オショウに対して、ネガティブなイメージがありました。(ロールスロイスだかに乗り回した話も聞いたりしましたし)
しかし最近、ちゃんとオショウの本を読む必要があると思っているところです。
カーラビンカ |  2010年01月19日(火) 04:16 |   |  コメント編集

是非読んでください

カーラビンカさん、ありがとうございます

困ったものですね。
でも仕方ないですね、他の宗教もみんなそうですから、、、

和尚の本は、良い意味でも悪い意味でも、もう古典となりました。
素晴らしいですが、もう新鮮味は薄れています。
それでも読む価値があります。
是非読んでみてください。
CyberBaba |  2010年01月20日(水) 00:01 |   |  コメント編集

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