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2010/01/20 (Wed) 21:00

パオ瞑想と只管打坐

パオ式瞑想は仏教上座部に伝わっている、
ブッダの時代から変わらないメソッドを受け継いだと言われる瞑想システムです。
サマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想がはっきり分けられ、
サマタ瞑想修了後にヴィパッサナー瞑想に進むよう、
カリキュラムがきちんと組まれています。

一方只管打坐は道元が開いた曹洞宗の座禅で、
悟りを得たいとか、心を落ち着けたいということすら否定して、
坐禅に徹し、坐禅になりきり、ただ坐るという瞑想法です。

両者は同じ仏教の瞑想といっても、
方やメソッド・システムがはっきりしていて、
方やメソッド・システムを完全に否定し、全く対照的です。

一体どちらが優れているのでしょうか?
究極的には両者が行き着くところは同じと思われます。

パオ式瞑想の場合は、カリキュラムがしっかりしているので、
やりやすい人にはやりやすいでしょう。
しかし、予備知識があるためにそれが先入観となり、
瞑想に目的を持つことが、かえって瞑想の妨げになるという欠点があります。

只管打坐は、本来の純粋な瞑想と言え、その点が優れていますが、
どうしてよいか全く分からなくなり迷う人も多いでしょう。
天才タイプの人向けの瞑想と言えるかもしれません。
天才タイプに人はごちゃごちゃ言われるとかえって上手くできなくなります。

結局どちらが優れているかではなく、個人の向き不向きの問題と考えられます。
行き着くところは同じだと考えられます。

関連記事
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ヴィパッサナーの種類
瞑想できているか?(総合篇)
全ての瞑想は無意味である


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