2010/02/10 (Wed) 21:00
慈愛にも智恵が必要
慈愛にも智恵が必要です。
慈愛とは全ての生き物の幸福を願うことです。
しかし、ただ漠然と願っていても何の解決にもなりません。
相手がどうすれば本当に幸福になれるかを洞察する必要があります。
そのためには生命の本質まで見極めないと、
本当の慈愛にならないことになります。
そんな難しいことを言わなくても、
例えば子供にお菓子をあげることを考えてみてください。
乞われるがままにお菓子をあげることは子供のためになりません。
良かれと思っても相手のためにならないこともあるのです。
ですから慈愛にも智恵が必要です。
自分のできる範囲で、相手に対して効果的なことをしてあげるのが慈愛です。
もしかすると自分は何もしないでただ見守るのが一番かもしれません。
究極的には、全ての生き物が覚りに近づけるようにしてあげるのが本当の慈愛です。
慈愛とは全ての生き物の幸福を願うことです。
しかし、ただ漠然と願っていても何の解決にもなりません。
相手がどうすれば本当に幸福になれるかを洞察する必要があります。
そのためには生命の本質まで見極めないと、
本当の慈愛にならないことになります。
そんな難しいことを言わなくても、
例えば子供にお菓子をあげることを考えてみてください。
乞われるがままにお菓子をあげることは子供のためになりません。
良かれと思っても相手のためにならないこともあるのです。
ですから慈愛にも智恵が必要です。
自分のできる範囲で、相手に対して効果的なことをしてあげるのが慈愛です。
もしかすると自分は何もしないでただ見守るのが一番かもしれません。
究極的には、全ての生き物が覚りに近づけるようにしてあげるのが本当の慈愛です。
おはようございます。尊厳を守る。ということがとても大切だと考えております。今現在、多数の宗教、思想、哲学が交錯してる世の中です。ここで尊厳とは、相手を認める。または自分との違いを尊重する。という意味で使ってます。「共存」の論理が必然となりますが、実際にそれを実行するには、かなりの智惠が必要だと考えてます。現に各地でイザコザが絶えません。あくまで私の意見ではありますが、慈愛あるところに智惠もあると考えてます。慈愛あるとき怒りがないはずです。エゴが機能してないはずです。それは裏を返せば、智惠が機能してる状態でもあります。もし慈愛を頑張っても智惠がないとするならば、むしろそれは純粋な慈愛ではなく、「欲」などの不善心が機能しているということではないでしょうか。
しんちゃん |
2010年02月11日(木) 05:51 |
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コメント編集
しんちゃんさん
大変深いコメントありがとうございます。
前半部分、つまり相手を認める尊厳、それを実行するにはかなりの智惠が必要だという部分は全くおっしゃるとおりだと思います。
後半部分、つまり慈愛あるところに智惠もあるという部分は考えさせられました。慈愛があるところにエゴが機能していないというのはそのとおりだと思います。また、もし慈愛を頑張っても智惠がないとするならば、むしろそれは純粋な慈愛ではなく、「欲」などの不善心が機能しているというのも一般的にはそのとおりだと思います。しかし人間とは全知全能ではありませんから、慈愛があってもうまく実行できないという事態も多々あると思います。例えば、災害などが発生すると、皆が皆とはいいませんが、多くの人が慈愛の心を思い出します。募金をしたりボランティアで現地に行ったり、純粋な心で行う人も多いと思います。(繰り返しますが皆が皆ではありませんが。)しかしやったことがどれほど効果があるかとなると、効果がある場合もあるし、あまりない場合もあります。
究極的には慈愛あるところに智惠もあるとは思いますが、そこに至るにはやはり両者は一致しない場合も多いのではないかと思います。あくまでも私見なので、間違っているかもしれません。今後の課題として、じっくりと観察・考察させていただきます。
ありがとうございます。
大変深いコメントありがとうございます。
前半部分、つまり相手を認める尊厳、それを実行するにはかなりの智惠が必要だという部分は全くおっしゃるとおりだと思います。
後半部分、つまり慈愛あるところに智惠もあるという部分は考えさせられました。慈愛があるところにエゴが機能していないというのはそのとおりだと思います。また、もし慈愛を頑張っても智惠がないとするならば、むしろそれは純粋な慈愛ではなく、「欲」などの不善心が機能しているというのも一般的にはそのとおりだと思います。しかし人間とは全知全能ではありませんから、慈愛があってもうまく実行できないという事態も多々あると思います。例えば、災害などが発生すると、皆が皆とはいいませんが、多くの人が慈愛の心を思い出します。募金をしたりボランティアで現地に行ったり、純粋な心で行う人も多いと思います。(繰り返しますが皆が皆ではありませんが。)しかしやったことがどれほど効果があるかとなると、効果がある場合もあるし、あまりない場合もあります。
究極的には慈愛あるところに智惠もあるとは思いますが、そこに至るにはやはり両者は一致しない場合も多いのではないかと思います。あくまでも私見なので、間違っているかもしれません。今後の課題として、じっくりと観察・考察させていただきます。
ありがとうございます。
CyberBaba |
2010年02月11日(木) 09:45 |
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