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2010/02/27 (Sat) 21:00

怒りと叱り

今回のテーマは難しいテーマで筆者もよく悩みます。
単なる一意見としてお読みください。

怒ることと叱ることは似て非なるものです。
表面はとても似ています。
しかし内面が全く違います。
怒ることは自分のために怒っています。
叱ることは相手のために怒っています。
つまり怒りはエゴより生じ、叱りは慈愛より生じます。

問題は相手に理解させるために叱るという手段を使うべきかどうかです。
叱ることは叱り方が難しいものです。
また実際には通常、怒りと叱りは混在しています。
優しく諭したり理詰めで説明することが最優先だと思います。
それでも解らない人には解らないので、
叱ることは状況によっては必要だと筆者は考えます。

しかし叱ることはよく失敗し、筆者自身、それで縁が切れてしまうこともよくありました。
相手にも寄りますが、叱ることは捨て身の最終手段と考えたほうが良いと思います。
叱る必然性があるのかどうか、叱り方は正しいのか、
相当深い慈愛と智恵が必要でしょう。
しょっちゅう叱っている人はもう一度よく自分の内面と状況を観察すべきでしょう。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(2)  |  ↑Top

Comment

質問の技術

ご無沙汰しております。

 私も、そう思います。怒りは感情の暴発で、叱りは相手のためを思った行動でしょうね。
 ただ、ちょっと気になるのは、価値観が多様化する時代において、叱る場合は、自分の価値観の押し付けにならないかといった問題です。

>叱るという手段を使うべきか

 叱る前に気づきのための質問をするとよいようです。
相手の行動が伴わないとは、私とは違った現実をみているでしょうから、その不足分などに対して助け舟としての質問を出すといった流れでしょうか・・
 言うは易しですけど・・・

 コーチングとかって言うみたいです・・・
タキ衛門 |  2010年02月28日(日) 00:14 |   |  コメント編集

Re:質問の技術

タキ衛門さん

お久しぶりです、コメントありがとうございます!

実は今回の記事はタキ衛門との以前のやり取り、怒りについてを少し思い出しながら書いていました。悟っても怒るときは怒るというのは、実は叱るということなのではないか、と思った次第です。

それはさておき、貴重なご意見ありがとうございます。

叱るときに自分の価値観の押し付けになってはまずいですね。やはり深い智恵と洞察が必要だと思います。

また、質問する、コーチングというのは確かに優れた手段ですね、確かに言うは易しですが。これも深い智恵と洞察が必要ですが有効な手段だと思います。

ありがとうございました!
CyberBaba |  2010年02月28日(日) 02:03 |   |  コメント編集

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