2010/05/01 (Sat) 21:00
中道とはバランスである
ブッダの根本的な教えの一つに中道というのがあります。
中道とは極端に走らないことで、
一般的には苦行と放逸を避けることとされていますが、
もっと突き詰めるとバランスであると言えます。
右に行き過ぎたら左へ寄る、左へ行き過ぎたら右へ寄る、
感覚としてはチューニングが近いと思います。
どこがバランスポイントかと言うと、これは時々刻々と変化しています。
世の中の根本原理として無常、つねに物事は変化する、ということがあります。
ブッダの時代のバランスポイントと現代のバランスポイントは違って当然です。
キリストの時代と地域、ムハンマドの時代と地域でもまた違ってきます。
ですから、細かい戒律に関してはこれが普遍的に正しいというものは存在しないのです。
戒律や規範を持つということはそれはそれで重要なことですが、
何が今の自分にとってバランスのとれた戒律や規範かということは、
過去の教えの中には存在しないのです。
戒律や規範をひたすら遵守するということは大抵の場合バランスを欠き、
ある意味苦行となります。
また戒律や規範を完全に無視するというのもバランスを欠き、
こちらはある意味放逸となります。
綱渡りの曲芸師のように、常に注意深くバランスポイントを保つことが重要でしょう。
常にバランスを保つことは物事が無常なので非常に困難ですが、
バランスを保てばそれが自ずと中道となります。
中道とは極端に走らないことで、
一般的には苦行と放逸を避けることとされていますが、
もっと突き詰めるとバランスであると言えます。
右に行き過ぎたら左へ寄る、左へ行き過ぎたら右へ寄る、
感覚としてはチューニングが近いと思います。
どこがバランスポイントかと言うと、これは時々刻々と変化しています。
世の中の根本原理として無常、つねに物事は変化する、ということがあります。
ブッダの時代のバランスポイントと現代のバランスポイントは違って当然です。
キリストの時代と地域、ムハンマドの時代と地域でもまた違ってきます。
ですから、細かい戒律に関してはこれが普遍的に正しいというものは存在しないのです。
戒律や規範を持つということはそれはそれで重要なことですが、
何が今の自分にとってバランスのとれた戒律や規範かということは、
過去の教えの中には存在しないのです。
戒律や規範をひたすら遵守するということは大抵の場合バランスを欠き、
ある意味苦行となります。
また戒律や規範を完全に無視するというのもバランスを欠き、
こちらはある意味放逸となります。
綱渡りの曲芸師のように、常に注意深くバランスポイントを保つことが重要でしょう。
常にバランスを保つことは物事が無常なので非常に困難ですが、
バランスを保てばそれが自ずと中道となります。
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