2010/05/05 (Wed) 21:00
瞑想中に見えるヴィジョン
瞑想中にヴィジョンが見えることがあります。
それを神秘体験や至高体験だと思っている人がよくいますが、
それはほとんどの場合誤りです。
瞑想中に見えるヴィジョンは、ほとんどの場合夢や空想の一種で、
神秘体験でもなんでもありません。
瞑想をすると当たり前のことが当たり前に見えるようになるのが正しく、
まれには違う場合もありますが、ほとんどの場合はいわゆる魔境です。
声などの場合も同様です。
魔境かどうかの判断方法は、ヴィジョンに執着を持ったり、
自分が偉くなったように気になったりしたなら魔境です。
これは他人からみると非常によく判るのですが、本人はそう思わない場合が多いのです。
ですからヴィジョンを見たり声を聞いたりしたら、疑ってかかるのが良策です。
そしてそれもまた無常で過ぎ去るものですから、決して執着しないようにすべきです。
今あるがままがを観る、これが瞑想の本道であることを忘れないようにしましょう。
それを神秘体験や至高体験だと思っている人がよくいますが、
それはほとんどの場合誤りです。
瞑想中に見えるヴィジョンは、ほとんどの場合夢や空想の一種で、
神秘体験でもなんでもありません。
瞑想をすると当たり前のことが当たり前に見えるようになるのが正しく、
まれには違う場合もありますが、ほとんどの場合はいわゆる魔境です。
声などの場合も同様です。
魔境かどうかの判断方法は、ヴィジョンに執着を持ったり、
自分が偉くなったように気になったりしたなら魔境です。
これは他人からみると非常によく判るのですが、本人はそう思わない場合が多いのです。
ですからヴィジョンを見たり声を聞いたりしたら、疑ってかかるのが良策です。
そしてそれもまた無常で過ぎ去るものですから、決して執着しないようにすべきです。
今あるがままがを観る、これが瞑想の本道であることを忘れないようにしましょう。
カーラビンカ |
2010年05月07日(金) 02:26 |
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カーラビンカさん
お久しぶりです、コメントありがとうございます。
ヴィパッサナーでもそういうことあるんですね。
あそこはそういうこと注意しているはずですが。
とにかくヴィジョン見たら普通は危険信号ですね。
お久しぶりです、コメントありがとうございます。
ヴィパッサナーでもそういうことあるんですね。
あそこはそういうこと注意しているはずですが。
とにかくヴィジョン見たら普通は危険信号ですね。
CyberBaba |
2010年05月07日(金) 23:43 |
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智恵の海さんこんにちは。横浜市に住む奥山光明と申します。どうぞよろしく(^^)
瞑想をしていると『寝てしまう人』がいるそうです。その逆に瞑想中に『ヴィジョンを見たり声を聞く人がいる』のだと自分は思うのですが。。。
智恵の海さんのおっしゃる通り一般にそれは魔境のようなものだと自分も思います。
ただ大麻などの場合でもスピ系の人は大麻を肯定的に捉える人(大麻解禁論者)が圧倒的に多いと思うのですが、さて大麻については智恵の海さんはどのようにお考えになりますか?
もし差し支えなければお聞かせください(^^)
瞑想をしていると『寝てしまう人』がいるそうです。その逆に瞑想中に『ヴィジョンを見たり声を聞く人がいる』のだと自分は思うのですが。。。
智恵の海さんのおっしゃる通り一般にそれは魔境のようなものだと自分も思います。
ただ大麻などの場合でもスピ系の人は大麻を肯定的に捉える人(大麻解禁論者)が圧倒的に多いと思うのですが、さて大麻については智恵の海さんはどのようにお考えになりますか?
もし差し支えなければお聞かせください(^^)
okuさん
はじめまして、コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
瞑想中のヴィジョンは夢のようなものが大半だと思います。
さて大麻についてですが、否定はしませんが、肯定もしません。
先ず法律的な問題ですが、おそらくご存知だとは思いますが、昔の日本では大麻は禁止されていませんでした。麻は神聖な植物とされていて、麻という文字を含んだ地名もたくさんあります。戦後GHQが占領政策の一環としてアメリカ的考えを押し付けて禁止になっただけです。一般の人が思っているように廃人になるとか、中毒になるとかもありません。酒やタバコより害が少ないとされ、解禁にしても良いと思っています。
次に仏教の立場ですが、薬物は戒律で禁止です。大麻もこの内に入るでしょう。なぜ仏教では禁止かと言うと、覚醒を保つことが困難になるからです。酒にしてもそうですが、個人差があるので何ともいえないところだとは思いますが、酒気帯び運転の取締りと同じで、ダメなものはダメとしないと戒律として成立しなくなります。ですから全面禁止です。
で、大麻を肯定する人はスピ系やヒンドゥー教系の人に多いですが、確かに自分が知らなかった世界を体験し、人生観まで変わる人もたくさんいます。それはそれで悪いこととは思いませんが、それも一種のヴィジョンのようなものだと思います。
ちょっと話変わって、ブッダですが、ブッダは大悟する前にサマーディまで達しました。当時サマーディは悟りだと思われていたのですが、サマーディの最中は平安の境地に達しますが、サマーディから出てくると、再び日常生活の苦に直面します。そこでブッダはサマーディ=悟りという当時の考えを否定し、日常生活で苦を滅することを説いたのです。
大麻も似たようなところがあると思います。確かにきまっているときは感覚も冴え、いろいろな世界を体験できるかもしれません。しかし現実世界へ戻ってくると元の自分のままです。この元の自分のままでどれだけ苦を滅することができるかというのが本道だと思います。
法律などで禁止せず、大麻をやりたい人はやりすぎない程度にやればよいと思いますが、それで悟れるとかはないでしょう。悟りとは日常生活での苦を滅することですから。
一般に大麻については過剰に拒否反応を示すひとと過剰に期待する人に分かれますが、アルコールやカフェインやニコチンなどと同じような嗜好品の部類でしょう。その程度のものだと思ってたしなむ程度にやる分には、あるいは自己探求のサプリメントとして一時期であるなら嵌ってみるのも悪くないとおもいますが、それが直接悟りや苦を滅することに結びつくという考えは違うと思います。
そのように考えています。
では今後ともよろしくお願いいたします。
はじめまして、コメントありがとうございます。
こちらこそよろしくお願いします。
瞑想中のヴィジョンは夢のようなものが大半だと思います。
さて大麻についてですが、否定はしませんが、肯定もしません。
先ず法律的な問題ですが、おそらくご存知だとは思いますが、昔の日本では大麻は禁止されていませんでした。麻は神聖な植物とされていて、麻という文字を含んだ地名もたくさんあります。戦後GHQが占領政策の一環としてアメリカ的考えを押し付けて禁止になっただけです。一般の人が思っているように廃人になるとか、中毒になるとかもありません。酒やタバコより害が少ないとされ、解禁にしても良いと思っています。
次に仏教の立場ですが、薬物は戒律で禁止です。大麻もこの内に入るでしょう。なぜ仏教では禁止かと言うと、覚醒を保つことが困難になるからです。酒にしてもそうですが、個人差があるので何ともいえないところだとは思いますが、酒気帯び運転の取締りと同じで、ダメなものはダメとしないと戒律として成立しなくなります。ですから全面禁止です。
で、大麻を肯定する人はスピ系やヒンドゥー教系の人に多いですが、確かに自分が知らなかった世界を体験し、人生観まで変わる人もたくさんいます。それはそれで悪いこととは思いませんが、それも一種のヴィジョンのようなものだと思います。
ちょっと話変わって、ブッダですが、ブッダは大悟する前にサマーディまで達しました。当時サマーディは悟りだと思われていたのですが、サマーディの最中は平安の境地に達しますが、サマーディから出てくると、再び日常生活の苦に直面します。そこでブッダはサマーディ=悟りという当時の考えを否定し、日常生活で苦を滅することを説いたのです。
大麻も似たようなところがあると思います。確かにきまっているときは感覚も冴え、いろいろな世界を体験できるかもしれません。しかし現実世界へ戻ってくると元の自分のままです。この元の自分のままでどれだけ苦を滅することができるかというのが本道だと思います。
法律などで禁止せず、大麻をやりたい人はやりすぎない程度にやればよいと思いますが、それで悟れるとかはないでしょう。悟りとは日常生活での苦を滅することですから。
一般に大麻については過剰に拒否反応を示すひとと過剰に期待する人に分かれますが、アルコールやカフェインやニコチンなどと同じような嗜好品の部類でしょう。その程度のものだと思ってたしなむ程度にやる分には、あるいは自己探求のサプリメントとして一時期であるなら嵌ってみるのも悪くないとおもいますが、それが直接悟りや苦を滅することに結びつくという考えは違うと思います。
そのように考えています。
では今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |
2011年12月28日(水) 14:51 |
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ご丁寧なお答えをありがとうございました。ずっとコメントの返信を見落としておりました。たいへん失礼をしました。どうぞこれに懲りずに今後ともよろしくお願いします。
奥山光明さん
どういたしまして、お久しぶりです。
最近あまり更新していませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
どういたしまして、お久しぶりです。
最近あまり更新していませんが、今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |
2013年10月18日(金) 10:13 |
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こんにちは(^_^)
唯識では無意識を末那識と阿頼耶識の二層にわけるようですが、この唯識の説明が自分には一番わかりやすいです。
もし阿頼耶識にアクセスできるのであれば、それは魔境とも言いきれない気はします。末那識は自我執着と煩悩が支配する世界のようですから、もし魔境というなら末那識のことなのかもしれませんね。
以上参考までに書かせていただきました。
唯識では無意識を末那識と阿頼耶識の二層にわけるようですが、この唯識の説明が自分には一番わかりやすいです。
もし阿頼耶識にアクセスできるのであれば、それは魔境とも言いきれない気はします。末那識は自我執着と煩悩が支配する世界のようですから、もし魔境というなら末那識のことなのかもしれませんね。
以上参考までに書かせていただきました。
奥山光明さん、こんにちは
コメントありがとうございます。
忙しかったので返信遅くなり申し訳ありません。
唯識のことは難しいですね。私もかなりいろいろ調べましたが、末那識や阿頼耶識をしっかり認識できるには至っておりません。
おっしゃる通り阿頼耶識にアクセスできれば魔境ではないのだとは思いますが、通常そこまで達することは非常に困難だと思われます。
そのように考えました。
コメントありがとうございます。
忙しかったので返信遅くなり申し訳ありません。
唯識のことは難しいですね。私もかなりいろいろ調べましたが、末那識や阿頼耶識をしっかり認識できるには至っておりません。
おっしゃる通り阿頼耶識にアクセスできれば魔境ではないのだとは思いますが、通常そこまで達することは非常に困難だと思われます。
そのように考えました。
CyberBaba |
2013年11月26日(火) 14:32 |
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智恵の海さん お久しぶりです。
少し調べたのですが
瞑想中のヴィジョンというと、マーラと降魔の話しがあると思います。
これは全ての修行者にとって避けて通れない試練などとも言われるようですが。
これは現実に存在する女性に対する禁欲というより、観念的な悪魔・魔物による瞑想(禅定)への妨害として、私は捉えているのですが、これは間違いでしょうか?
もしそうだとしたら私自身現在、降魔に苦しんでおります(^.^)
少し調べたのですが
瞑想中のヴィジョンというと、マーラと降魔の話しがあると思います。
これは全ての修行者にとって避けて通れない試練などとも言われるようですが。
これは現実に存在する女性に対する禁欲というより、観念的な悪魔・魔物による瞑想(禅定)への妨害として、私は捉えているのですが、これは間違いでしょうか?
もしそうだとしたら私自身現在、降魔に苦しんでおります(^.^)
奥山光明さん
返信大変遅くなり申し訳ありません。
魔について個別の事例に関してはよく分かりませんが、対処法は共通していると考えます。
忘れてしまうことです。
魔がどういうものであれ、それを増幅しているのは自分の想念です。
忘れてしまうのが一番です。
これをお読みになればヒントになるかもしれません。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
中島敦 名人伝
返信大変遅くなり申し訳ありません。
魔について個別の事例に関してはよく分かりませんが、対処法は共通していると考えます。
忘れてしまうことです。
魔がどういうものであれ、それを増幅しているのは自分の想念です。
忘れてしまうのが一番です。
これをお読みになればヒントになるかもしれません。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
中島敦 名人伝
CyberBaba |
2015年05月17日(日) 18:09 |
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ヴィパッサナー・コース初回の時、ヴィジョン及びすごいエクスタシーにつつまれ、有頂天になりました。
二回目のコースで、それに執着してサンカーラになっていたことがわかりました。いい経験でした。