2010/06/05 (Sat) 21:00
悟り・無我・空
今回は、もう一度原点に帰って、悟り(大悟)とは何かについてです。
悟ったと思われる人たちの言説を総合すると、論理的には悟りとは簡単です。
悟りとは、我という者は存在しないと実感することです。(無我)
そして全体と一つであると実感することです。(空)
無我や空の境地については言葉では説明できないそうです。
それは、リンゴを食べたことのない人にリンゴの味を説明するようなものだそうです。
しかしそれでも断片的には知ることができます。
苦の滅却、全体との一体感、観るものと観られるものの一致、無心などです。
これは特定の宗教に限ったことではなく、様々な人たちがそう言っています。
気をつけなければならないのは、これらを語る人たちが、
皆本当に悟っている訳ではないことです。
無我を語りつつエゴの塊のような人もいます。
そういう人たちは魔境にいます。
悟れば無我であり空なので、自他の差別がなくなり、
慈悲深く洞察力に優れているのは、論理的に当然の帰結です。
そうではない人もたくさんいるので注意が必要です。
しかし悟りとは特別な人たちの特殊な境地と考えるべきではないでしょう。
自分自身の本質の問題であり、誰もが悟れる可能性はあるし、また必要もあるのです。
参考記事
悟りとは何か?
悟りの判定方法
悟ったと思われる人たちの言説を総合すると、論理的には悟りとは簡単です。
悟りとは、我という者は存在しないと実感することです。(無我)
そして全体と一つであると実感することです。(空)
無我や空の境地については言葉では説明できないそうです。
それは、リンゴを食べたことのない人にリンゴの味を説明するようなものだそうです。
しかしそれでも断片的には知ることができます。
苦の滅却、全体との一体感、観るものと観られるものの一致、無心などです。
これは特定の宗教に限ったことではなく、様々な人たちがそう言っています。
気をつけなければならないのは、これらを語る人たちが、
皆本当に悟っている訳ではないことです。
無我を語りつつエゴの塊のような人もいます。
そういう人たちは魔境にいます。
悟れば無我であり空なので、自他の差別がなくなり、
慈悲深く洞察力に優れているのは、論理的に当然の帰結です。
そうではない人もたくさんいるので注意が必要です。
しかし悟りとは特別な人たちの特殊な境地と考えるべきではないでしょう。
自分自身の本質の問題であり、誰もが悟れる可能性はあるし、また必要もあるのです。
参考記事
悟りとは何か?
悟りの判定方法
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