QLOOKアクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告  |  ↑Top

2010/12/22 (Wed) 06:00

瞑想で何が変わるか

昨夜は月食でしたね。(雨で見えませんでしたが)
月食の日には特別なパワーがあると言われていますが、筆者は特に信じていません。
もちろん月や太陽の動きは潮の満ち引きなども司り、
人間にも大きな影響があるはずなのは間違いありませんが、
一部の人たちが信じるほどの大きなパワーだとは思えません。

さて月食の影響なのか、それとも偶然なのか、
昨日は人との会話などにおいていろいろなことがありました。
その中から一つ。

瞑想で何が変わるかということについてです。
極端に言えば瞑想では何も変わりません。
ただ、ものの観方が変わるのです。
もっと言えば、自分の思い込みや概念、つまりいわゆる妄想が晴れて、
物事があるがままに見えてくるのです。

昨日ある人から、早朝覚醒(朝早く目が覚める)で悩んでいると相談されました。
4時とか5時に目が覚めてしまって辛いということでした。
睡眠時間が短くて辛いのかと思いよくよく訊いてみると、
夜は8時くらいにくたぁっと寝てしまい、それも悩みだと言います。

筆者が、それは早寝早起きで良いことじゃないか、と言うと、
えっという顔をした後、そうか良いことなんだ、と気づきました。
そしてその悩みは消えてしまったのです。

現実は何も変わっていません。
その人は相変わらず8時に寝て4時に目が覚めるでしょう。
しかしものの観方が変わり妄想が消え、苦が滅したのです。

これが瞑想のエッセンスです。(もちろんこれだけではありませんが)
今回は自分で気づいたのではなく、他人に気づかされましたが、
瞑想をすることにより、自分で気づけるようになり、苦を滅していくことができます。
瞑想によって変わるのは、ものの観方なのです。


【追記】

本文に書いた人とまた今日話をしました。
今日も朝早く目が覚めたそうですが、朝から洗濯をしたそうです。
今までは、早く起きてしまった、また寝たいのに寝られない、
うだうだうだうだ、そんな風に考えていた人です。

本文では、極端に言えば何も変わらないと書きましたが、
観方が変わると生活も変わるという実例です。
瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(6)  |  ↑Top

Comment

自分を笑う

お久しぶりです。プラ・ユキさんの事が気になって、HP覗いてみました。来日されているのですね。是非お会いしたいのですが、講演会の日は先約があり、日程ちょっと考えてみます。最近、図書館で仏教系の本を借りまくっています。老年の係員が、それがとても気になるらしく、「どんな修行をしていて、どんな効果があるのですか?」と聞かれました。私は、「息を観るのがいいですよ。お金もかからないし・・」と答えておきました。息を観ることに慣れたら、妄想の立ち上がる瞬間、怒りで全身が燃える瞬間などが観えてきて、「おっとっと」と苦笑してしまいますよね。自分で自分が笑えたら、少しは成長した、と言えるかもしれません。図書館の方、納得頂けたかしらん。
猫ちゃん |  2010年12月23日(木) 06:25 |   |  コメント編集

Re: 自分を笑う

猫ちゃんさん

お久しぶりです、素敵なコメントありがとうございます。

プラユキさん、お時間が合えば是非お会いになってください。従来の仏教や瞑想のイメージと全然違いますが、にも関わらず正統派です。

ところで図書館での会話ですが、上手い伝え方をなさいましたね。瞑想について全く知らない人に訊かれたとき、どう答えるかは非常に難しく、相当の智恵を必要とします。なにしろこちらは相手が何に興味があり、何に拒否反応を示すか全く判らないのですから。相手の反応を見ながら、徐々に説明していくことになりますが、話のきっかけとしてはとても上手く話されたと思います。またそこから先、どうやって興味をもってもらうかも難しいので、修行だと思って、智恵と慈愛(図書館員の方の幸福を願う気持ち)で頑張ってください。この点プラユキさんはとても上手ですので、そういうところを学ぶためにも是非お会いになってみてください。

最後になりましたが、自分を笑えるようになったら大したものです。私も見習いたいと思います。ではまた、よろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2010年12月23日(木) 20:54 |   |  コメント編集

一隅を照らす

励ましのコメントを頂いてありがとうございます。日本は戦後、色々な理由から宗教教育をしなくなり、宗教を学ぶ者を「宗教に走る」と言って揶揄してきましたから、家庭内でも宗教的な会話をしなくなり、自分の信仰、価値基準を口にしなくなりました。でも、図書館の係員の方のように、本当は、とても気になるのではないでしょうか?変な新興宗教には行きたくないけれど、人間の本当の価値を教えてくれる教えには出会いたい。日本の伝統的寺院が、それを担いきれていないのが残念です。人を輝かそうと思ったら、自分が輝いていなければなりません。自分が輝いて、社会の一隅を照らすことができたら、素敵ですよね。
猫ちゃん |  2010年12月24日(金) 10:29 |   |  コメント編集

Re: 一隅を照らす

猫ちゃんさん

こちらこそありがとうございます。

宗教とよく一言で言われますが、実は人によって使い方が様々ですね。本当の意味での宗教とは「生き方の科学」だと思っています。そういう意味では宗教については、多くの人が興味を持っているのは確かです。しかし一方、生き方なんて難しいことどうだっていいじゃん、そう思っている人も多いのも確かです。さらにそう思っている人は二種類に分けられ、快楽主義的にいい加減に考えていてどうでもいいと思っている人と、深く考えた結果複雑に考えても仕方ないと割り切った人に分けられます。しかし普段の言動や行動を観ると、その人がどのようなタイプなのか全く判りません。飲み屋のお兄ちゃんが実は生に対し真剣な考えを持っている場合もありますし、お坊さんが実はステレオタイプの考えの持ち主の場合もあります。

私たち在家の修行者は、在家の修行者としての役割があると思います。出家では手の届かない部分をフォローするという重要な役割があると思っています。また、こういうとまた各方面から言葉にされない批判を受けますが、私は本当は出家も在家もないと思っています。そういうことに関係なく、自分が輝いて、社会の一隅を照らすことができる人間になる、そういう人間になりたいと思っています。
CyberBaba |  2010年12月24日(金) 23:45 |   |  コメント編集

在家と出家

出来れば、出家の僧侶には、人に語りえる何かを持っていて欲しいと思いますが、振り返って自分が出家者だったとして、何十年修行しても、そういうものを持ち得ず、未だに凡庸な僧侶である、という可能性はありますよね。在家として、俗世で苦労した分、かえって人の痛みが分かる人間になった、ということもあるかも知れません。人はそれぞれの縁に従って、自分を磨き、死ぬときは笑って死にたいものだ、と思っていますが、これまた、思惑通りに生きられないのが人生かも知れません。
猫ちゃん |  2010年12月25日(土) 08:08 |   |  コメント編集

Re: 出家と在家

猫ちゃんさん

おっしゃるとおりだと思います。輪廻があるのかどうか知りませんが、これで人間生活は満足、卒業、そう終わりたいと思います。来世があるとしても、課題ややり残しのないようにしたいと思います。出家であっても在家であっても、自分を磨いていきたいものですね。

P.S.1
死関係のキーワードが引っかかって文章を変えざるを得なかったので、文章に書き足りないところ、おかしなところがあるのでお許しください。

P.S.2
ミクシィに入ったらお知らせください。よろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2010年12月25日(土) 11:09 |   |  コメント編集

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲TOP

Trackback

この記事のトラックバックURL

→http://cyberbaba.blog57.fc2.com/tb.php/170-cc59b94b

この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

この記事へのトラックバック

▲TOP

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。