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2011/01/07 (Fri) 18:00

坐る瞑想か日常生活瞑想か

ここ最近の記事でたぶん気になっておられた方もいらっしゃると思いますが、
ここ最近の記事は日常生活での瞑想という視点に偏っています。
またある所で、坐る瞑想と日常生活瞑想とどちらが大切かということが話題になっています。
そのこととこれまでの記事の視点の修正を兼ねて今回の記事です。

先ず坐る瞑想その1ですが、なんと言っても瞑想の基本であり、これは外せません。
落ち着いて坐って、心を安定させ(サマタ瞑想)と自己観察をする(ヴィパッサナー瞑想)。
これがある程度できなければ日常生活瞑想など不可能です。
(もちろんあらためて瞑想などと言わなくても、
 幼少の頃より気をつけている人などは別です)

次の段階として日常生活瞑想ですが、これも大事です。
坐っているときは仏様でも、日常生活で悪鬼羅刹では意味がありません。
日常生活瞑想で大切なのは、なんと言っても人との関わりでしょう。
独居生活やそれに近い生活での日常生活瞑想は、
基本的に坐る瞑想その1の延長でしかないとも言えます。
人と関わったときに心の本音が表れるものです。
人と関わった時の好悪や喜怒哀楽の感情や、人の話をちゃんと聴いているか、
正しく相手に伝わる言葉を使っているか、どんな表情をしているかなど、
しっかり認識することが必要です。
これをやらなければ日常生活瞑想をしている内には入らないでしょう。

そして坐る瞑想その2です。
人と関わっていると、どうしてもいろいろなことに意識を向ける必要が出てきます。
もう一度じっくり坐って、さらに心を安定させ、
もっと自己の本質を洞察する必要があるでしょう。
そしてその意識状態を日常生活でも維持できるようにする、これが重要だと考えられます。

ですから、坐る瞑想と日常生活瞑想のどちらが重要かという問題ではないでしょう。
その時によりどちらかに重みが傾くことがあってもどちらも重要だと言えます。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(6)  |  ↑Top

Comment

朝夕と昼間

グッドタイミングで、私もこの問題を考えていました(笑)。水源先生に「(早く悟りたいので?~笑)昼間もお坊さんみたいに頑張ります!」と言ったら「いや、朝夕座禅・瞑想して、昼間は自然にしていてください」(笑)。座る瞑想を否定する人もいますが、毎日バタバタしていては集中力はつきません。朝夕、30分でもいいから座った方が良い。しかし、経典にもあるように、ダンマのどんな質問にも答えられて、長年怒ったことのない法師長老が、自分はアラカンだと誤解していたが、実はそうではなかった、という通り、人間は俗世間でもまれて初めて成長する、という面もあります(勿論、これは一般論であって、個人差はありますが)。朝夕座り、昼間は自分の出来る範囲で気づきを入れ、妄想に気がつくよう努力する。出来れば、たまにリトリートに行く。これが在家の標準的、理想的方法ではないか、と思います。
猫ちゃん |  2011年01月08日(土) 08:29 |   |  コメント編集

Re: 朝夕と昼間

猫ちゃんさん、いつもありがとうございます!

全くおっしゃるとおりだと思います。中道によってバランスポイントが変わり、重みが変わる事があっても、基本的にその通りだと思います。それに在家も出家もないと思います。(もちろん人によってまた環境によって異なるので多少のバランスの違いはあると思いますが。)

またよろしくお願いします。
CyberBaba |  2011年01月08日(土) 23:15 |   |  コメント編集

補足:

誤解があるといけないので補足します。水源先生は「昼間は妄想に気づく努力を」とはおっしゃいませんでした。「自然に・・」という意味は、私の理解では、仕事をする時は無心で仕事をし、お茶を飲むときは「おいしいなぁ」と有り難く頂き、眠たくなったら寝る。物事をあまり深刻に考えない、といった趣旨のようでした。私は、一日中「気づきが大事」「気づきが大事」と生活しても、それが無用な心理的緊張を引き起こすのであれば、本末転倒だ、ということかな、と今は考えています。自分(の心)に気づくのも大事だけれど、どうしてもジャッジしがちです。ほっと一息、リラックスする時間も必要だ、という事かと思います。私の説明が間違っているかも知れないので、納得できない方は、直接、水源先生に聞いてみて下さいね。
猫ちゃん |  2011年01月09日(日) 08:07 |   |  コメント編集

Re: 補足

>水源先生は「昼間は妄想に気づく努力を」とはおっしゃいませんでした。

へえ、そうなんですか。「自然に・・」というのも一理ありますね。

私の場合は昼間も気づく努力をしています。ただし「妄想」に気づくのではなく、全般に気づく努力です。たしかに一時はそれで心理的緊張が高まったのですが、今はほどほどにやっています。ですから当然サティがそれほど高くない。従って改めて坐るということが大事だと思っているしだいです。それでも日常生活、特に人との接触は大事な修行です。やはり欠かせないと思っています。

それと坐る瞑想では只管打坐をもう少し取り入れようと思っています。「いわゆる」サマタやヴィパッサナーでは緊張が高い割には核心、つまり気づいている者に届きにくい。だからリラックスと核心に近づくためにもっと取り入れようと思っています。

まあこういうことはケースバイケースで、それを的確に判断するのが師なのでしょうね。納得できない方は水源禅師などの師に訊いてみてください。
CyberBaba |  2011年01月09日(日) 15:18 |   |  コメント編集

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 |  2011年01月10日(月) 06:36 |   |  コメント編集

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 |  2011年01月10日(月) 08:53 |   |  コメント編集

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