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2011/01/15 (Sat) 20:00

個としての意識・全体としての意識

このところ物事の観方や個としての自覚としての自我ということを結構書いてきましたが、今回はそれらに関連して「個としての意識・全体としての意識」「トップダウン的ものの観方・ボトムアップ的ものの観方」ということを書いてみます。

筆者の以前の上司は、ボトムアップ的ものの観方を要求する人でした。どういう事かと言うと、プロジェクトに関して先ず自分の担当部分について徹底的に調べさせるのです。そして各自が調べたことを統合してプロジェクトの全体像を把握させるのです。逆に筆者はトップダウン的なものの観方をするタイプで、先ずプロジェクトの全体像を把握して自分の役割を認識してからでないと自分の担当部分の意味がよく判らないで、始めのころは結構行き違いがありいらいらしました。しかし上司のものの観方と筆者のものの観方が違うと気づいてからはいらいらしなくなりました。どちらのやり方が正しいとか言う問題ではなかったのです。

気づきの量×質気づきのベクトルということに関連して言えば、ベクトルの動きが違うとでも言えるでしょうか。またボトムアップの観方は個としての観方優先、トップダウンの観方は全体としての観方優先ということも言えると思います。

そしてボトムアップとトップダウン、言い換えれば個と全体の観方が一致したとき、プロジェクトは円滑に進みます。個は個としての自覚・意識を持ち、同時に全体の中の役割ということを意識して全体としての意識も持てます。

ちょっとこのタイル画を観てください。

Arabic_Calligraphy_at_Wazir_Khan_Mosque.jpg


部分は部分として生き生きとしていて、全体は全体で部分部分とは全く違った美しさを持っています。

個としての意識・全体としての意識も、このようであるのが良いのではないか、というのが筆者の考えです。自分自身は個としての自覚を持ち生き生きとしながら、同時に全体としての意識も持ち役割を果たし全体を生かす。こういう意識が理想ではないかということです。

このブログもそういう意識で書いています。個として好きなように自由に書いていますが、瞑想を直接指導している方々とは違った視点で瞑想者の方々のお役に立ち、瞑想界や宗教界ひいては世界のお役に立てればと思っています。微力ではありますが、またテーラワーダ系の瞑想に偏ったきらいはありますが、それでもそういう意識を持って書いておりますので、今後ともご愛読よろしくお願いいたします。それから、たまには宣伝もしておきます。気に入ったら下のランキングのクリックにもご協力いただければ嬉しいです。よろしくお願いします。

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