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2011/01/17 (Mon) 18:00

今ここの瞑想

瞑想中思考が現れた場合、思考を観るべきでしょうか、今ここに戻るべきでしょうか?こんなご質問をいただきました。そこで今回は「今ここの瞑想」がなぜ大切なのか、そして次回は「思考を観る瞑想」はどのように行えば良いのかということについて書いて行きたいと思います。

花


今ここはなぜ大切なのでしょうか?花の写真をアップしましたが、筆者の部屋にある花です。偉そうに書いていても筆者は普段この花を味わって観ていないのです。あらためて今ここにある物を見て、花を発見したような次第です。

このように人は通常、今ここにいません。過去の嫌な思いや未来の心配(今ではない不快な思考)、今顔も見ても話もしていない嫌な奴への怒りや恐怖(ここではない不快な思考)、過去の思い出や未来への願望(今ではない快な思考)、離れている家族や恋人のこと(ここではない快な思考)、空想的物語(今でもここでもない思考)になどに耽っていることが多いのです。

そして目の前の花を観ず、今話している人の話を聴かず、食べ物も味わわず、あるいはもっと深く自分が感じていることを感じず生きていることが多いのです。つまり本当の意味では生きておらず、生から逃避的に生きているのです。それは映画やテレビを見続けているのと本質的に同じことです。自分自身で生きていることを味わう、そして苦があれば滅していく、そのためには今ここが最も重要なのです。今ここは、観ないように聴かないようにしていたとしても、本当は逃げようがありません。過去は二度と戻ってこず、未来はどうなるか分からず、ここでない場所が今この瞬間どうなっているのかや、ここにいない人が今この瞬間何を考えているのかは、本当は知りようがありません。

そして今ここにいないことは、苦そのもの、または苦につながります。不快な思考はそれだけで苦ですし、快な思考も現実ではないので、現実に対するギャップがいずれ苦になる可能性の高い行為です。少なくとも無意味で無駄であることが多いのは事実でしょう。

ですから、今ここをじっくり味わい、向上心を持って生きることが最も大切となります。
そしてそれこそが生きていることであり、生きている意味であり、証だとも言えます。

シリーズ記事
今ここの瞑想
思考を観る瞑想

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