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2011/02/07 (Mon) 18:00

人と交わる重要性

前回独りになる重要性について書きましたが、今回は人と交わる重要性です。

修行者の中には孤高であることを善しとし、人と交わることを極力避ける人もいますが、人と交わることも重要です。物事は関係性、つまり縁ですから、人と交わることは避けることができません。時期によって独りになることが重要な時期もありますし、人と交わることが重要な時期もありますが、両者のバランス、つまり中道が必要です。

yajirobei.jpg


独りで瞑想するのは主に智恵の修行ですが、人と交わるのは慈愛の修行です。人によってまたやり方にもよるでしょうが、通常は人と交わる事は慈悲の瞑想よりもはるかに強力な慈悲行で、1時間独りで慈悲の瞑想をやるより、ちょっと顔を合わせて微笑む方がよっぽど強力な場合が多々あります。また、孤高にこだわると独善的になりがちですが、正しく人と交わればそういう危険も避けられます。

特に重要なのは法友・同志です。筆者は師よりも重要だと考えています。対等に物を言い合い、時には師になり時には弟子にもなってくれる人、こういう同志・法友は非常に大事です。こういう人がいれば独善的になって魔境に落ちる可能性も激減させることができます。また、語り合える人がなく独りで修行するのは辛いことです。ブッダは善友がいない場合は犀の角のように独りで歩めと言いましたが、実際問題それが出来る人は僅かしかいないでしょう。

これに関連して師が法友になれるかどうかです。師が法友になってくれればこれほど心強いことはありませんが、実際問題としては難しいと思います。その師にもよりますが、コミュニケーションが一方的であったり、対等な目線に立ってくれない人は法友になれないでしょう。逆にコミュニケーションがキャッチボール的で、対等な目線に立ってくれる人であれば法友になれるでしょう。

また、無視してはいけないのは修行などに興味のない一般の人です。悪縁になる可能性もあるので慎重さを必要としますが、いろいろなものの観方を学ぶ事も重要ですし、なによりも誰とでもできるだけ公平に接するということが大事です。

オショウ(ラジニーシ)はこう言っています。
瞑想は独りある技で、愛は共にある技である。

究極的には独りでいても人と接していても、くつろいで気づいている、こういう状態になるのが理想と考えられます。

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人と交わる重要性

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 |  2011年02月08日(火) 07:39 |   |  コメント編集

善き縁、よき学び

日常の人との交わりは、全て、良い学びになると思います。
自分が出会う人々は、自身の鏡の面もあるからです。
とはいえ、無意識に過ごしてしまうと、せっかくの学びの機会を、悪縁にもしかねない。良い学びと為すには、自分自身の智慧の深まりも必要だと思います。
自身の智慧が深まるにつれ、世界が広がって、他者との学びも実り多いものに変化していくのだと思います。
アメリ |  2011年02月08日(火) 21:21 |   |  コメント編集

Re: 善き縁、よき学び

アメリさん

コメントありがとうございます。

全くそのとおりですね。それと同時に、前回書いた独りあることもとても重要です。大抵の人はどちらかに偏っています。人と分かち合うことも大切だし、独りでコツコツやることも大切です。どちらもある意味心がけ次第ですので、バランスよくやりたいですね。
CyberBaba |  2011年02月08日(火) 23:43 |   |  コメント編集

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