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2011/02/09 (Wed) 18:30

禅は瞑想か?

今回は禅は瞑想かということです。禅をやっているの中には「禅と瞑想とは違う、なぜなら禅は半眼で行い瞑想閉眼で行うから」とか、いろいろ他の瞑想と比べて差別化しようとする人たちがいます。しかし禅は瞑想です。

先ず、禅の語源はサンスクリット語のディアーナ、パーリ語のジャーナの音訳の禅那です。ディアーナもジャーナも瞑想そのものを意味しています。

次に、禅で何をするかを考えて見ましょう。禅で行うことは「心身脱落し、己を証する」ことです。これは言葉を変えると、心を安定させ(これは言い回しの問題で心を脱落させることと同意です)、己を洞察することです。ですからサマタ瞑想とヴィパッサナー瞑想を同時に行っていることになります。
参考 サマタとヴィパッサナーの定義

以上2点より、禅は瞑想の一種にほかなりません。半眼であるとか閉眼であるとか、そういう外見上のことはどうでも良いのです。ただし、禅は方法論を否定します。そこが確かに他の方法論を持った瞑想法とは違った部分ではありますが、実際には、半眼でどこを見るとか、脚の組み方とかいろいろうるさい方法論があります。

禅を瞑想ではないという人たちの中には共通した心理的傾向があります。それは差別化です。禅を他の瞑想と差別することにより、自分の優位性を強調する傾向があります。しかしそれこそ禅の精神である「無分別」に反していて、そういうい人は禅を本当は理解していないと考えられます。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(0)  |  ↑Top

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