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2011/02/17 (Thu) 18:00

仏教の基礎

今回は仏教の基礎である、中道、四聖諦、八正道についてです。これらはブッダが悟った後の初説法でかつての修行仲間の5人にインドのサルナートで説かれたとされています。そして5人はその教えに従いやがて悟った(全ての苦を滅した)とされています。
参考 Wikipedia初転法輪

このように中道、四聖諦、八正道は仏教の基本中の基本であり、ある意味これだけでも十分なくらいです。逆にこれから外れていたら、いくら難しいことや立派な事を言っても、仏教ではないと言えます。中道、四聖諦、八正道については過去にも解説していますので今回は簡単にまとめます。過去記事のリンクを文中に貼っておきますので詳しくはリンク先をご参照ください。
buddhism.jpg

中道とは、極端に走らないこと、バランスをとることです。この世は矛盾に満ちています。厳密な主義主張や生き方は極端となり、必ず別の観点からは矛盾が生じます。そこで極端に走らずバランスをとることが必要になります。これがブッダの第一の教えです。
参考記事 中道とはバランスである

四聖諦とは、苦諦(生きている限り苦は免れない)、集諦(苦には原因がある)、滅諦(苦は滅することができる)、道諦(苦を滅する道がある)の4つの真理です。現代仏教では苦諦が強調される傾向がありますが、苦諦はブッダに言われるまでもなく当然の事なので、集諦と滅諦と道諦に重点が置かれるべきでしょう。これがブッダの第二の教えです。
参考記事 四聖諦

八正道とは、道諦を具体的に8つの方法で示したものです。
参考記事 八正道(はじめに)
正見と正思は、正しく見ること、正しく考えることです。
参考記事 八正道(正見・正思)
正語と正業は、正しい言葉、正しい行動です。
参考記事 八正道(正語・正業)
正命と正精進は、正しい生活、正しい努力です。
参考記事 八正道(正命・正精進)
正念と正定は、正しいヴィパッサナー瞑想と正しいサマタ瞑想です。
参考記事 八正道(正念・正定)
これらがブッダの第三の教えです。

最初の5人の弟子達はこれだけで悟った(全ての苦を滅した)ので、いかに重要かということが分かります。これらは暗記でもなければ道徳でもありません。善人ぶることでも中途半端の勧めでもありません。また難しい理論でもありません。シンプルに理解して実践していけば、やがて全ての苦を滅することができるとブッダは説いています。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(12)  |  ↑Top

Comment

中道に関しまして

いつも誠に大変お世話になっております。

自身を省みて、常に極端であり、とても
中道的で無いと思いました。

ご指導誠にありがとうございます。

どなたかの本に、中道とは「超越道」であると書かれていた事を
記憶しております。だから超越的な真理なのかと考えておりました。

究極の真理がバランスと解釈できるのでしょうか。
自身も改めて中道が気になりますので、再度色々な本を
見て勉強する所存です。いつもありがとうございます。
nintarou |  2011年02月18日(金) 01:01 |   |  コメント編集

ニュートラル

nintarouさん

こちらこそいつもありがとうございます。

>どなたかの本に、中道とは「超越道」であると書かれていた事を
>記憶しております。だから超越的な真理なのかと考えておりました。

調べてみました。スマナサーラさんの「ブッダの道の歩き方」ですね。本屋で見てみようと思いましたが無かったので、Webから引用します。

>“仏教の「中道」というのは真ん中ではないんです。真ん中というのは、間違っている両極端の間です。間違った意見を半分ずつ取ったところで、結局それは間違ったことになるのです。真ん中ではなく、「第三の道」ということです。”(p.47)
>“お釈迦様はわざわざ、「聖なる中道」と言うんです。「聖なる」という単語は「ただの真ん中ではない」という思想に立っている。中道は「超越道」という意味なんです。”(p.48)
>“これは空論を語った龍樹も同じ事を言っています。例えば右の道は極端だから完全に間違っている。左の道も完全に間違っている。真ん中を通ったら半分ずつ間違っていますから、結局は真ん中でも間違っているんです。”(p.49)

う~ん、難しい事言ってますね。そうかもしれない、そうではないかもしれない。ブッダの最初の教えではもっと簡単に具体的に言っています。

「苦行も放逸も極端であり避けるべきで、真実の道は中道にある」、というようなことです。

「バランス」というのは私の解釈が入っています。もっと良い言葉では「ニュートラル」が良いかもしれません。

極端と言うのは必ずと言って良いほど執着や思い込みが含まれています。そういう執着や思い込みを捨てれば、ニュートラルな視点に立て、自ずとバランスも取れる。そういう意味で「バランス」「ニュートラル」という言葉を使っています。
CyberBaba |  2011年02月18日(金) 21:36 |   |  コメント編集

いつもありがとうございます。

CyberBaba様

 いつも丁寧な貴重なご指導を戴き心から感謝しております。

 昨晩雑誌一個人の「仏陀の言葉」を読みましたが、
 二カーヤの言葉でも、
「あらゆるものは有である」というなら一つの極端な説である。
「あらゆるものは無である」というならこれは第二の極端な説である。
如来はこれら両極端に近づかないで、中道によって法を説くのである。となっておりました。

やはりあまりに極端では、破滅が生じると再認識しました。

芸術でも、秀作は一見極端に見える場合もありますが
どこかで基本が守られていたり、絶妙のバランスがあると思います。

過ぎる事は本当に真理から遠ざかるのかもしれません。
なかなか下手ですが柔軟なバランスをよく考えてみます。
誠にありがとうございました。

nintarou |  2011年02月18日(金) 22:55 |   |  コメント編集

どういたしまして

nintarouさん

芸術の例はとても解りやすかったです。この例からすると、中道は第三の道であるとか超越道であるというのも分かる気がします。

極端についてさらに考察してみました。極端というのは、必ず反対の極端があります。そして反対側の極端から見ると、もう一方の極端は全く根拠がないのです。論争の場合は水掛け論になります。冷静に第三者が観れば、両方とも意味がないのです。極端に執着するというのは、ものの観方は沢山あるという事が見えなくなるからです。仏教では見取(けんしゅ)と言い、見解に執着することです。

これを避けるには多角的にニュートラルに観て、バランスの取れた観方をするという事が必要でしょう。
CyberBaba |  2011年02月19日(土) 00:57 |   |  コメント編集

なるほど

中道を薦めるのは仏教思想なんですね。
adon |  2011年02月20日(日) 12:38 |   |  コメント編集

Re: なるほど

adonさん

コメントありがとうございます。

仏教思想の影響もありますが、子供の頃からこんなことをよく考えていました。世の中矛盾に満ちている。だからやみくもに極端なことをやったこともあります。しかし極端ではいつか破綻する。それでバランスが大事だなと思っていたのと、仏教思想の影響と両方あります。中道でなければまともに生きていけません。

また、人それぞれ、またケースバイケースでバランスポイントが違います。それを認めることも重要だと思っています。しかし、極端な意見には反対を述べます。
CyberBaba |  2011年02月20日(日) 16:48 |   |  コメント編集

必ずしもそうとはいえないでしょう

中道でなければまともに生きてゆけないかどうかは一考を要すると思います。
自分に確信する生き方のビジョンが無い場合は、確かに中道に生きるしかないと思います。
しかし、己の使命を確信できる人は凡庸に留まるべきではなく
前衛的に飛び出して生きてよいと思います。
みんなが中道なら世の中が死んでしまいます。
adon |  2011年02月21日(月) 05:04 |   |  コメント編集

中道とは凡庸ではありません

adonさん

中道とは凡庸ではありません。飛び出して行く場合には飛び出して行ってもよいのです。飛び出して行く事が全体のバランスを維持するからです。上のnintarouさんのコメントにこうあります。

>芸術でも、秀作は一見極端に見える場合もありますが
>どこかで基本が守られていたり、絶妙のバランスがあると思います。

adonさんのおっしゃる極端は、この引用の「一見極端」の部分にあたると思います。一見極端でもバランスがあるのです。一見飛び出ても、その中にバランス感覚がある。

逆に皆が皆真ん中に固まって凡庸に団子状態であるのは、それが実はバランスが崩れているのです。
CyberBaba |  2011年02月21日(月) 07:31 |   |  コメント編集

Re: 中道とは凡庸ではありません

バランスに関して別の角度から、スポーツを例に挙げてみます。

例えばスキーで高速ターンをするとします。凡庸な人にとっては極端で命取りに見えても、一流選手の場合はちゃんとバランスが取れています。だから高速ターンができます。

感覚的な表現ですが、そういう感じです。
CyberBaba |  2011年02月21日(月) 07:36 |   |  コメント編集

Re: 中道とは凡庸ではありません

しつこいようですが、、、

飛び出してなお中道であるという良い例はブッダだと思います。
王子の位を捨て、極端な修行もしましたが、最終的には中道を説きました。

成長の過程で一時的に極端になるのは仕方ないと思いますが、極端を目指すのではなく、最終的には中道を目指し、個人的にも社会的にもバランスの取れた立ち位置を目指すのが良いと思います。
CyberBaba |  2011年02月21日(月) 20:19 |   |  コメント編集

I see.

円熟した立ち位置を己の成長に求める。なるほど、それが仏教の教理の中核なんですかね。そこがキリスト教、ユダヤ教と大きく違うところです。私はユダヤ教の訓練を受けたキリスト教徒ですが、我々の成長は神のみ手の内にあり、成長は神の与えられるものであり、人間が判断して立ち位置を求めるという考え方はありません。
ともあれ面白い考え方を教えてくださり有難うございます。
Adon |  2011年02月22日(火) 03:44 |   |  コメント編集

Re: I see.

Adonさん

解りやすくまとめていただきありがとうございます。立ち位置という表現はちょっとちがうかもしれませんが、だいたいおっしゃるとおりです。

仏教では己の成長を第一にしていて、成長とともに苦を滅していき、最終的には全ての苦を滅する(解脱)を求めます。

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教では、己で成長するというよりは神にすべてをゆだね、神の御心に従えば幸福になる、と言えるのでしょうね。

いろいろな意味で、中東発祥のユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、インド発祥のヒンドゥー教、仏教は対照的です。しかしどれも人間の生き方、幸福になる道を説いているので、共通点もたくさん見られます。

こちらこそありがとうございます。
CyberBaba |  2011年02月22日(火) 19:50 |   |  コメント編集

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