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2011/06/25 (Sat) 12:00

親しい人を亡くしました

先月、一番親しい人を亡くしました。ここ数年筆者は苦らしい苦を感じていなかったのですが、今は苦を感じています。

ブッダは苦には原因があると言います。筆者の苦の原因は、何でも話せる人がいなくなった喪失感、悲しみも確かにありますが、それは二の次で、一番の原因は彼女の苦にあります。悟って、つまり全ての苦を滅して亡くなったならまだしも、彼女は大きな苦しみを背負ったまま亡くなっていきました。それがとてもかわいそうで悲しいのです。自分が一番傍にいながら、苦しみは無くならなかった。もっとなにかできたのではないかという後悔もあります。

彼女は知識としては仏教もよく知っており、今ここを気づきをもって生きることや、平常心を保つことの重要性は知ってはいました。しかしそれらを実際に活用することはあまりありませんでした。もっと別の信念・信仰を持っていたのです。もっと自分でも実践をし彼女にも実践させるべきだったのか、あるいは彼女の信念・信仰の世界をもっと共有すべきだったのか、どうすべきだったのか未だに分かりません。もっと巻き込まれないようにするべきだったのか、もっと巻き込まれてしまうべきだったのか。

一つあらためて気づいたことは、他人や他の生命の苦は自分の苦でもあるといういうことです。自分だけ苦を滅するということはできません。他人や他の生命の苦まで滅するには、非常に強い慈愛と智恵が必要になります。しかしそれでも完全に全ての苦を滅することはできないでしょう。となると、筆者はあまり好きな考え方ではありませんが、悟り涅槃を目指す人が出てくるのは当然だと言えます。あるいは彼女のように、神に救いを求める人が出てくるのも当然だと言えます。

自分の一番親しい人でさえあまり救うことができなかったので、ブログを書くのももう止めようかとも思いました。また慈愛・瞑想についての基本的なガイドも大体書きつくした気がします。しかしこのブログを有効活用してくださる方も多少はいらっしゃるようなので、一部の人の手助けにでもなれればという思いで、また続けていきたいと思います。またできることなら、悟り涅槃を求める人や神に救いを求める人やあるいはどちらも全く興味のない人などにとっても、ヒントにでもなるような記事を書いていければと思います。よろしくお願いいたします。

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Comment

無宗教論者の知恵?

CyberBaba 様の心痛が癒えます事を
心からお祈り致します。

未熟者の忍太郎です。大変お世話になっております。

先週宗教が嫌いだと言われる方と意見交換をしてしまいました。
集団化したり思想を強要されるような所が嫌なんだと思います。

お釈迦様が宗教的なことを嫌っていたようなお話をするとやっと仏教に若干の理解を示してくれました。今回のお話と無関係な可能性があります、すみません関係無ければまたいつかお願い出来ればと思います。

その方が私に言われた下記の言葉が気になってしまいました。
それは以下の内容でした。

「宗教に救いを求める人もいますが、それは我が儘だと思います。一つの欲だと。人間は誰かを救ってあげるものと思います。救ってくれる人や団体を探してるみたいな感じより、救ってくれるのは自分のエネルギーに語りかけることなのかも知れません。
だから毎日、心地よく感じるままに前向きに生きるだけなのかなぁ…。ひたすら植物のように真っ直ぐに生きるだけ。」

その無宗教論者の方に、何か反論しようとも考えましたが、意外に反論しにくいのです。
たぶんかなり年下の方の意見で、苦しみの経験が少ないのかな?とも思うのですが、

宗教が嫌いな方の割には何か悟っているような内容にも思え、慎重にかつ真摯に受け止めてしまいました。

また、先日大先輩のお通夜に参加しました。その方も無宗教論者(82歳)海軍から医師になられ
大病を乗り越えて天寿を全うされた闘士の方でした。何もかも自力で家族にも依存しない方だったようです。無宗教の葬儀は私には極めて味気ないものでした。葬送行進曲と焼香だけの
簡単な葬儀でした、上記の無宗教の若い方も無宗教葬儀を良しとされた意見でした。

無関係なメールかもしれません。お許しください。
自分は何かに救いを求めて生きたいです。
忍太郎 |  2011年06月25日(土) 14:37 |   |  コメント編集

No title

私からも謹んでお悔やみ申し上げます。

私の好きなアーティストもメンバーの死によって姿を見せなくなった事もあり、他人事のように思えません。

私は、死は最後の解放であり、また始まりだと思っています。
ある人の死によって、周りの人に精神的な死が起こり、
それがまた生を生むのではないかと思います。

死・痛み・苦しみはそういう意味で人生において最も重要なのだと思います。

苦しい時期かとは思われますが、陰ながら応援させて頂きます。
私にとって慈愛は大きなテーマですので、今後とも学ばさせていただければ光栄です。

ユリイカ |  2011年06月27日(月) 13:47 |   |  コメント編集

Re: 無宗教論者の知恵?

忍太郎さん

いつも誠にありがとうございます。

宗教が嫌いだとおっしゃる方はある意味しごく真っ当だと思います。日本の、いや世界の既存や新興の宗教を見ていれば、それは当然のことだと思います。しかし、それは宗教のうわべしか見ていないとも言えます。まあそれもある意味当然で、本質的かつ正しく追求する人はそれほど多くはないし、周辺部分だけが強調される傾向があるからです。

では宗教の本質はなんなのか?私の個人的定義では宗教とは人の生き方を説いた教えです。この意味では、無宗教(これにもいろいろな生き方がありますが)も一種の宗教です。

で、基本的には、自分が幸せになり、他人や他の生命を害せずに生きていければ、ある程度何でもいいというのが私の考えです。しかし実際にはそうもいきません。生きていくには食べなければなりませんし、そこには必ず他の生命を奪うという行為が含まれます。一方、自分さえ良ければよいという生き方、これも一つの生き方ですから私の定義では一種の宗教ですが、これはおそらく間違った宗教でしょう。

次に意見交換された無宗教論者の方ですが、これもその人はそういう生き方が正しいと思っているので一種の宗教です。そしてその考えは基本的には非常に正しいと思います。しかしちょっと認識がずれた部分があると思います。

>宗教に救いを求める人もいますが、それは我が儘だと思います。一つの欲だと。
いわゆる宗教に救いを求めるのは間違っている場合が多いですが、それを我が儘や欲と簡単に片付けるわけにはいきません。ブッダの説くように、生きている限り苦は免れないので、なんとか苦から逃れたい救われたい幸福になりたいと思うのは、生命の基本的欲求です。これを否定したら、誰かを救ってあげるということも無意味になります。

>人間は誰かを救ってあげるものと思います。救ってくれる人や団体を探してるみたいな感じより、救ってくれるのは自分のエネルギーに語りかけることなのかも知れません。
確かにその通りだと言えますが、それは境地や能力の高い人について言えることです。自分が苦しみの内にあり、ネガティブな雰囲気ばかり撒き散らしている人にとっては、誰かを救うことはほとんど不可能でしょう。救ってくれる人や団体というと聞こえが悪いですが、正確にいえば導いてくれる師や生き方を示してくれる体系・メソッドなどです。体系・メソッドというとまた誤解を招きそうですが、「神を信じて祈ること」なども体系・メソッドに含まれます。あるいは「自分のエネルギーに語りかけること」も立派なメソッドです。この方もはっきりと自分の体系・メソッドを持っていて、それを信じているのでやはり宗教です。

>だから毎日、心地よく感じるままに前向きに生きるだけなのかなぁ…。ひたすら植物のように真っ直ぐに生きるだけ。
これは正しいです。今ここを正しく生きる。仏教と根本的に同じです。

というわけで、この人の場合は本質的にはかなりいい線を行っているのですが、宗教という「言葉」にアレルギーを持っていると考えられます。もっと寛容に宗教やそれを実践している人たちを観れば、きっと理解できると思います。

葬式に関してですが、私も無宗教葬儀で良いと思っています。私には弟が一人いて、最近どちらかが死んだら葬式をどうするかという打ち合わせをしたのですが、基本的に身内だけで無宗教葬儀をする方針です。まあ私にはお坊さんや神父さんの知り合いが結構いるので、どなたかを招いて簡単な葬儀を挙げていただくかもしれませんが、残った方が決めるということで、その方たちのリストだけ作成しました。

>自分は何かに救いを求めて生きたいです。
他の人や生き物の苦を取り除いてあげたとき、一番の救いがあるのではないでしょうか?あるいは神や仏を信じて祈る、これもそれで気持ちが楽になるならそれで良いと思います。ちなみに私は祈りません。もし神が存在するなら、あらためて祈らなくても思いは通じているはずだからです。しかし祈る人を否定しません。それは内なる神への語りかけだと理解しています。

では今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2011年06月27日(月) 17:02 |   |  コメント編集

ありがとうございます

ユリイカさん

お悔やみおよびコメント誠にありがとうございます。

>私は、死は最後の解放であり、また始まりだと思っています。
>ある人の死によって、周りの人に精神的な死が起こり、
>それがまた生を生むのではないかと思います。

確かにおっしゃるとおりですね。姿形を変えながらエネルギーが続いていく。本当は一瞬一瞬生死が起きているのだが、気づかないだけなのでしょうね。いわゆる死はそれがはっきりとする瞬間なのかもしれません。

ブログ久しぶりに拝見しました。クリシュナムルティはやはり落ち着きますね。透明な感じがします。私はブッダの方が理解しやすいかと思い、仏教を主体に書いていますが、根本的にはクリシュナムルティの方が好きかもしれません。

今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2011年06月27日(月) 17:11 |   |  コメント編集

ご指導ありがとうございます。

CyberBaba様 心痛がまだ癒えていない困難な時期に
詳細な解説を戴き 本当に感謝申し上げます。よく分かりました。

私の頭は、論理的でない所があり、思考が停止していました。
大変気になる若い宗教が嫌いな方の考え方にご指摘のように仏教に通じる点があることは
私も感覚として察知していました。
今回CyberBaba様の指摘により、やはりそうなんだと確信を持ちました。
ありがとうございました。

その宗教が嫌いな若い方は
「人間は誰かを救ってあげるものと思います。」と述べておられます。
そしてCyberBaba様からも以下のご指摘を戴きました。
「他の人や生き物の苦を取り除いてあげたとき、一番の救いがあるのではないでしょうか?」

私が一番歳をくっているのに、未だに人間としての生き方が全く分かっていないと思いました。

反省し、その(救いという)未知の領域をこの硬い思考回路で何とか見て見ようと思いました。
実は救いが何なのかも未だに分かっておりません。

この事は毎日何度か祈っている過去にご指導を戴きました
「生きとし生けるものが幸せでありますように」に通じる生き方だと思われますが?未だに理解が不十分な模様です。

私は私なりに全力で毎日頑張って人を治しておりますが、
その気持ちの中心は自分であったように思えて来ました。
病気を治しても、相手の幸福を喜んでいる自分も間違いなく存在してますが、人を救うという心の
本質を欠いていた(本質を理解出来ていなかった)可能性があるのではとかなり気になって来ました。

救っているようで、自分のやり遂げた達成感などに重きを置いていた可能性が大だと思いました。
このように本質がまだまだ自分中心だから、20年以上も同じ事の繰り返しの毎日が人を救う行為であっても
日々味気なくつまらなく感じていた可能性を今回のCyberBaba様のご指摘から感じました。

生来の未熟者ですから、出来るかどうか分かりませんが
1度、本当にこれまでよりもさらに踏み込んで
相手の気持ちに100%に近く近づいて、日常の行為を行って見ようと思いました。 
ありがとうございました。CyberBaba様の幸福を心からお祈り申し上げます。
そして宗教が嫌いな若い方のそのセンスの良さに感動し彼のさらなる幸を祈り頑張ろうと思いました。
本当にありがとうございました。 感謝申し上げます。
忍太郎 |  2011年06月27日(月) 23:13 |   |  コメント編集

No title

謹んでお悔やみ申し上げます。
CyberBabaさんの心中お察しいたします。しかし、ブログは続けられるとのこと、よかったと思っています。

いくら修行をして精神的に成長したと思っても、思わぬことに直面し、無力感に打ちのめされ、自分がやってたことはなんだったのか、と思わされた経験は何度もあります。でも、人間の成長は右肩上がりではなくらせん状に行くのだという喩えを読んだ時、妙に納得できました。
 最近は好ましくない感情がわいてきたら、それに居場所を与えてあげたいと思っています。どんな感情も存在を認めて、大きな力の根源へ還してあげたいです。
カーラビンカ |  2011年06月29日(水) 11:56 |   |  コメント編集

どういたしまして

忍太郎さん

こちらこそありがとうございます。

>その宗教が嫌いな若い方は
>「人間は誰かを救ってあげるものと思います。」と述べておられます。

これが菩提心だと思います。ただいろいろな考え方がありますが、救ってあげるには、やはり深い智恵と慈愛が必要となるでしょう。そのためにはやっぱり修行が必要だというのが私の考えです。修行と言ってもいわゆる修行だけを指しているわけではありません、念のため。日常生活で八正道を実践することが一番の修行だと思います。こういうことを、その方が拒否反応を起こさないように説明して差し上げてはいかがでしょうか?きっとその方の幅が広がると思います。

忍太郎さん自身については菩提心は十分おありなので、心配したり卑下したりすることなく、日常生活で八正道などを心がけていけばよろしいかと思います。

ではまた、失礼いたします。
CyberBaba |  2011年06月30日(木) 20:27 |   |  コメント編集

ありがとうございます

カーラビンカさん

お久しぶりです。
お悔やみおよびコメントありがとうございます。

おっしゃるとおりだと思います。

自分ではどうしようもないことがあるのはしかたないと解ってはいても、やはり実際にそういう場面に出くわすと、無力感が沸き起こってきます。大いなる力にゆだねるということも大切なのかもしれません。

ありがとうございます。
CyberBaba |  2011年06月30日(木) 20:32 |   |  コメント編集

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 |  2011年08月16日(火) 01:34 |   |  コメント編集

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