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2009/01/07 (Wed) 21:00

スピリチュアリティの本質

スピリチュアル、現在この言葉はひどく誤解され、
オカルトの領域にまでなってしまっています。

スピリットとは日本語に訳せば、
純粋な精神とでも言うべきもので、
過去世とか未来とか霊とかオーラとかが見えるとか、
チャネリングができるとか超能力があるとかなどは、
スピリチュアリティが高い、つまり精神の純粋性が高いこととは、
本来何の関係もありません。

そういうことは能力の一部に過ぎず、
勉強ができるとか、容姿が美しいなどと同様に、
必ずしも精神の純粋性を表しているとは限りません。

ではスピリチュアリティが高い、つまり精神の純粋性が高いとはどういうことでしょうか?

それは思い込み・こだわり・執着が無く、
物事(特に自分自身)の本質をあるがままに洞察する智恵を持ち、
全ての生命に対する慈悲の心を持ち、
エゴ、自分が無いことです。

ブッダは教えの基本に「智慧」と「慈悲」を説き、
人は本質的には「無我」であると説きました。

Osho(ラジニーシ)は「瞑想」と「愛」という言葉で表現し、
真の「自由」という言葉で表現しました。

クリシュナムルティは「あるがままを観察して理解する」という言葉と、
「他者との関係性」という言葉を使い、
「自我の終焉」を説きました。

シュリ・シュリ・ラヴィシャンカールは具体的な方法として、
「サーダナ(瞑想と呼吸法の修行)」と「サトサング(賢者と共にあること)」と、
「セヴァ(奉仕)」を説きました。

これらの覚者・賢者たちが共通して言っていることは、
「智恵・瞑想」と「慈悲・愛」と「執着エゴがない・無我」ということです。
言い換えれば人格が高いということです。

そしてもう一つ重要なことは、過去や未来に捕らわれず、
「今この瞬間」を「意識的」に生きるということです。

そのように生きる人が本当にスピリチュアルな人なのです。
そしてそのように生きることが、自分のためにも他人のためにもなり、
そして生きている限り避けることのできない現象的苦しみ、
四苦八苦を超越することにもなるのです。

瞑想・慈愛  |  コメント(2)  |  ↑Top

Comment

こんにちは!

あるブログを探しているうちに、こちらへやってきました!私は、こういう分野が何よりも大好きで、現在、主人と横浜で、”ニューアース”の小さな勉強会などを開いたりしています。CyberBabaさんがおっしゃる、スピリチュアリティという言葉が、誤解されているというところは、本当に「そうなのよ!そうなのよ!!」と、強く同意します。それで、ちょっとコメントを残すことにしました。私たちのページにも、もしよろしければ、お寄り下さい。それでは。
fur |  2009年01月20日(火) 22:17 |   |  コメント編集

ありがとうございます!

fur さん

ご同意いただきありがとうございます!

スピリチュアルというのは一般の人にとっては、
一種のファンタジーになっている部分があります。
そういう妄想がないスピリットを求めて行きたいと思います。

fur さんのページにもときどきよらせていただきます。
よろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2009年01月20日(火) 23:32 |   |  コメント編集

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