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2011/08/12 (Fri) 23:30

このブログは瞑想ガイドブックです

このブログにも登場するある方の法話の中で、「分類分けしてカタログ化するのは生きた蝶を標本化するようで嫌だ」という批判をいただきました。しかし筆者はこのブログを瞑想世界へ旅行ガイドとして書いている面が強いので、カタログで結構だと思っています。また蝶の標本ではなく、スケッチです。ですから筆者が良いと思った方は(特にヴィパッサナー瞑想関連ですが)、なるべく満遍なく紹介するようにしていて、登場しない人がいないように心がけています。(最近プラユキ・ナラテボー師に肩入れしがちではありますが。)

特に、瞑想に興味があるが、まだほとんど知らない、こういう人達のガイドブックを目指しています。その場合、カタログ化は必須です。A師の説く教えしか知らないで、それが全てだと思ってしまうと、B師が偽者に見えてくる。あるいはA師は自分に合わないがどうすることもできない。そういう事態を避けることができます。

また、ヴィパッサナー瞑想界も含めて宗教界は現在結構分立対立状態にあり、セクショナリズムが蔓延っています。誰もが自分の所が一番だと思い、他は間違っているか劣っていると考えています。そうではなく、それぞれの人に合った教えやメソッドがあるはずだというのがこのブログの基本スタンスです。どれか特定の派の中からその派を中心に観るのではなく、外から平等に客観的に観ることも必要です。そうすることでセクショナリズムも崩れていきます。


最近、高校時代の倫理社会の教科書を引っ張り出しました。その教科書には世界や日本の思想家の思想が網羅的客観的に辞典のように書かれています。思い起こしてみると、生涯でもっとも役に立った本の一つです。もちろんそれぞれの項はそれほど長くはなく、感銘を受けるというような本ではありませんが、全体像や個々の特徴がよく分かります。その中で当時特に印象に残ったのが、ブッダの項と実存主義の項です。しかし他の人は違うところが印象に残ったかもしれません。もちろんこの教科書はさわりの部分しか書いていませんが、あとは自分で実際に観てみればよい。ガイドブックとして役に立ったのです。


さらに心がけているのは、情報として純粋化するということです。なるべく主観を書かない、こちらから押し付けないということです。情報を得て、どう選択するかは読者の判断を最優先しています。


そういう方針ですので、カタログ化されて気に入らない方もいらっしゃるでしょうが、読者の立場に立てば役に立つことですので、ご理解お願いいたいます。また読者の方は単なるガイドブックとして使い捨てされて結構ですので、このブログを情報を手がかりに「実際に体験の世界」へ進んで行かれれば、これに勝る幸いはありません。

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Comment

瞑想を何か実践してみたいのですが?

瞑想初心者です。 何か瞑想を行ってみたいのですが
ご面倒と存じますが、再度お勧めをいただけませんでしょうか?
プラユキナラテボー師の瞑想法は初心者では無理でしょうか?
忍太郎 |  2011年08月17日(水) 22:27 |   |  コメント編集

Re: 瞑想を何か実践してみたいのですが?

忍太郎さん、コメントありがとうございます。

プラユキ師の瞑想法はだれにでも簡単にできます。
いくつかの瞑想法を指導されていますが、基本は以下の3つです。
1.手動瞑想(気づきの瞑想、ヨックムー・サーンチャンワ、チャルーン・サティ)
2.歩行瞑想
3.呼吸を観る瞑想(アーナパーナ・サティ)

手動瞑想のやりかたは以下にあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3
http://www.youtube.com/watch?v=hOcIhTOJQjo
複雑な動きに見えますが、憶えてしまえば簡単です。両方を見ながらやってみれば憶えられると思います。目は開いて行うのが基本ですが、やりにくければたまに半眼や閉眼にしてもかまいません。
ポイントは手の動かしかたではなく、手に気づいていることです。手の動きが止まるたびに、手にパッパッと気づきます。雑念・妄想が出てきても気にせずに、手に気づきを戻します。

歩行瞑想はラベリングのないマハーシ式(スマナサーラ師方式)の歩く瞑想と大体同じです。歩くスピードはマハーシ式よりは速く、通常の歩行速度の範囲で一番ゆっくりくらいです。手動瞑想と同様に足(足首から先)にパッパッと気づきます。

呼吸を観る瞑想は通常の呼吸を観る瞑想と同じです。目を閉じ、自然呼吸をし、吸う息と吐く息に気づきます。雑念・妄想が出たときにどうするかは、実はいろいろな方法があるのですが、プラユキ師の場合は、それも気にせず受け入れて、再び呼吸に戻ります。

文字にすると理解しにくいと思いますし、間違いもあるかもしれませんので、機会があればプラユキ師の講演会・瞑想会に参加されることをお勧めします。講演も解りやすく良いと思います。
(続く)
CyberBaba |  2011年08月22日(月) 16:38 |   |  コメント編集

Re: 瞑想を何か実践してみたいのですが?

忍太郎さんの場合のお勧めです。

先ず慈悲の瞑想は効果があるようなので続けてください。内観はちょっとお休みして呼吸を観る瞑想をやると良いと思います。それから歩く瞑想をお勧めします。手動瞑想はとりあえずチャレンジしてみてください。できるようであればやってください。

プログラムはこんな感じです。

1.慈悲の瞑想
2.手動瞑想15分くらい
3.呼吸を観る瞑想15分くらい
以上は連続して、寝る前か朝食前に行うのが良いでしょう。満腹時はできるだけ避け、食後2時間くらいは空けてください。

1.片足歩行瞑想30分くらい
いつやってもOKですが、連続して30分くらいやってください。

以上を詳しく説明します。

慈悲の瞑想は今までどおりでOKです。

手動瞑想は上のコメントにあるとおりです。もしやりにくければ省いて、習う機会を待ちましょう。

手動瞑想を省いた場合は、呼吸を観る瞑想を長くします。15分くらいから始め、30分くらいまでやるようにします。思考が出てきても気にせず呼吸に戻ります。しばらく続けていると脈絡のないおしゃべりのような思考が消えていくはずです。どういう状態になるかというと、思考がほとんど出てこなくなるか、意味のある強い思考が残るかのどちらかです。そういう状態になったらまた質問してください。

片足歩行瞑想のやり方はここにあります。
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-160.html
片足歩行瞑想の場合は、歩く速度は速くても遅くても良いので、周りの人に気づかれずに行うことができます。あるがままの歩行を観察します。30分くらい連続してやるとナチュラルハイのような状態になり、非常に良く観えるようになります。行として連続してやらない場合でも、普段から歩行に気づくようにして歩くとより効果的です。

ティク・ナット・ハン師ですが、解りにくかったですか。いろいろな手法があるのは、手法はあくまでも手法であり、ケースバイケースであり、またある意味それほど重要ではないとも言えるからです。機会があれば会に参加してみると良いと思います。
http://www1.kcn.ne.jp/~inter-be/index.html

こんなところでどうでしょうか?何かあればまたご質問ください。
CyberBaba |  2011年08月22日(月) 17:11 |   |  コメント編集

本当にありがとうございます。

CyberBaba様

  お忙しいところ本当に丁寧なご指導を戴き

  真摯に感謝申し上げます。

  早速、手動瞑想を今取得すべく、何度もアプローチを
  はじめております。すごくかっこいいです。

  すごく、良い気持ちです。

  以前プラユキ師の動画を確か拝見させて頂いた記憶が
  ありましたが、ようやく方法がわかってくるようで、
  大変うれしいです。

  今日は本当に貴重な出会いを戴けたと思います。

  本当にありがとうございます。

  助けて頂き心から感謝申し上げます。絶対に実行します。
  また宜しければ? コメントさせて下さい。

  本当に感謝いたします。 ありがとうございます。  忍太郎
忍太郎 |  2011年08月23日(火) 22:41 |   |  コメント編集

どういたしまして

忍太郎さん

返信ありがとうございます。
お役に立てたようで良かったです。
また何なりとコメントください。

今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2011年08月24日(水) 01:05 |   |  コメント編集

No title

以前、メールを送りました小林と申します。9/4の「新しい地球の会」に参加しました。始めて瞑想を指導されましたが、禅道場よりもリラックスした雰囲気で居心地良く感じました。教えて頂きたいのですが、瞑想で何もない世界を感じるという事と悟ることは同じなのでしょうか?どちらも抽象的で難しく、自分の雑念だらけの瞑想で到達できる気がしないのですが、そこに気付けば生き方も変えられそうで期待がつのります。坐禅に通っていても何も分かりませんでした。一生悟れそうも無いのに何を救いと考えたらいいのだろうと思いました。地方在住で頻繁に指導は受けられませんが、瞑想を続けることで誰でも何か気付きが得られるものなのでしょうか・・
小林 |  2011年09月05日(月) 21:59 |   |  コメント編集

おはようございます

小林さん、おはようございます。

返信おそくなりましたが、コメントありがとうございます。
「新しい地球の会」リラックスできたようで良かったですね。

何もない世界を感じることと悟ることが同じかということですが、難しいことを考えてらっしゃいますね。あくまでも私見ではありますが、何もない世界というのは無いのではないでしょうか?常に変化し続ける何かがあるのではないでしょうか?何もないというのは、変化しない実体というものが何もないというという意味だと思います。

かたや悟るということは、どういうことか、これはその境地に達することはともかく、どういう境地であるかは簡単に説明できます。全ての苦を滅した状態です。苦しみというものはいろいろな説明がありますが、簡単に言えば変化についていけないことから生じます。例えばいつまでも生きていたいと思うのに生きていけないから苦しみます。それは頭では変化するのが当たり前だと思っていても、実感としては変化しない、つまり死なないのが当然だと思っているからです。変化するのが当然だ、自分自身というものも実体がなく変化し続けていると受け入れられれば苦はなくなるとされています。変化しても当然だと受け止められれば、常に平然としていられ苦がなくなり、それが悟りだとされています。(もちろんあくまでも一つの説明で、別の説明もありますが)

一生悟れそうもないと諦めることはありません。大悟、つまりすべての苦を滅することができる人は一握りしかいませんが、小悟つまり一つの苦を滅することは誰にでも可能です。小悟の積み重ねで大悟に至ると思えば、あるいは大悟して完全に苦がなくならなくても、いくつか小悟で苦が減ってくれればそれで十分だと思えば気が楽になります。

ですから一生悟れなくても救いはあります。苦がだんだんと減っていく、その変化が楽しめればそこに救いはあります。

また重要なこととして、他の生命の苦を自分のできる範囲で少しでも減らしてあげるということがあります。他の生命の苦を少しでも減らしてあげられれば、それが喜びとなって自分自身も救われます。

瞑想を続ければ誰でも何かの気づきがあります。小さな気づきがあれば小悟です。それが大切です。どんな小さな気づきでも大切にすることが大切です。そうすると気づきに敏感になってきます。

例えばこの記事を。
「瞑想で何が変わるか」
http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-170.html
こんな感じで変化していきます。

なかなか東京などに出てこられないということなので、またコメントください。できる範囲でお答えします。ではまた、よろしくお願いします。
CyberBaba |  2011年09月09日(金) 06:38 |   |  コメント編集

追記

NHKの「100分でde名著・ブッダの真理のことば」を是非ご覧ください。
とても分かりやすく解説されています。
たぶん次回以降悟りの話とかも出てくると思います。

詳細はこちらを。
「100分でde名著・ブッダの真理のことば」
ttp://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-214.html
CyberBaba |  2011年09月09日(金) 06:53 |   |  コメント編集

ありがとうございます

丁寧な返信が頂けて、うれしいです。悟りにこだわるよりも、少しずつでも自分で気付いていくことが大事なのですね。瞑想を指導されたときに、電車の中で今朝見かけた人や嫌いな人の苦しみが無くなるように念じて下さいと言われ、ハッとしました。仏教に執着してるのに一度とてそんな風に思いが及ばなかった心の貧しさを思いました。それも気付きだったかもしれません。池袋の会場に行く途中の電車の中で、宇宙がどのように構成されてるかという本を読んでました。目に見える物質は数%で、他はすべて目に見えない暗黒物質と暗黒エネルギーで占められてると書かれてましたので、瞑想で何もない世界を感じると聞き、すぐにその事と結びつけてしまいました。「変化しない実態というものが何も無い」ことの方が、最初から何も無いと想像するよりも恐ろしいです。他の命の苦を少しでも減らせたら、自分も救われるということ、よく考えたいです。考えてすることでは無いのでしょうが、とても惹きつけられます。どうかまたコメントさせて下さい。
小林 |  2011年09月10日(土) 23:59 |   |  コメント編集

どういたしまして

小林さん

よろこんでいただけてうれしいです。

私もかつては悟りにこだわっていた時期があります。小林さんの場合とは違うかもしれませんが、悟れば超人になれてなんでも解決するとか思っていました(笑)。しかし最近はそういうものではないと思っています。たぶんそれも一種の妄想・欲望で、そういうものから抜け出してあるがままの本当の自分に納得がいくことが大切だと思うようになってきました。そのためにはおっしゃるとおり自分で気づいていくことが大切だと思います。その気づきにもいろいろあると思いますが、気づけば少しづづ眼の前の霧が晴れて行くでしょう。

人の苦しみがなくなるように念じるのはとても大切なことです。人の苦しみは自分の苦しみより辛い場合もあります。分かりやすいのは身近な人の苦しみの場合です。自分の苦しみより辛い場合があります。ですから、自分の苦しみと人と身近な人の苦しみは本質的に同じなのです。そしてまた身近な人とそうではない人は、本質的に何も違わないのですから、全くの他人であってもやはり苦しみは苦しみなのです。人がよろこんでいれば自分もうれしくなります。

宇宙の話ですが、目に見える物質は数%のようですが、目に見えない物質やエネルギーで満たされているようです。暗黒物質や暗黒エネルギーというと何かおそろしいですが、単に人間には分からないだけだと思えばそんなにおそろしくありません。電波などもある意味暗黒エネルギーの一種です。それは例えば、目の見えない人が光が分からないようなものです。ただ自分には分からないだけで、おそろしいものではないでしょう。

同様に、変化しない実体が何もないということや、無の世界ということも、何が正しいのかは分かりませんが、本当はおそろしいことではないと思います。もし変化しない実体がないというのが本当だとしても、初めから何もないとしても、それはそういうもので、それがあるがままの世界です。それをおそろしいと思うのは、目の見えない人が、もし光などというものが存在していたらどうしようと悩むようなものではないでしょうか?

しかしまあそういう考えても分からない宇宙の存在とかに思いをめぐらすより、目の前の苦を一つづつ処理して滅していくことが大切だと思います。そのためには自他の区別なく苦をなくしていくように心がけることが近道かもしれません。実際上にも書いたように自他の区別はないと言えばないのですから。

ではまた、コメントお待ちしております。
CyberBaba |  2011年09月16日(金) 09:41 |   |  コメント編集

約1ヶ月初歩的瞑想を実践してみました。

CyberBaba様

誠に大変お世話になっております。

8月23日から,ご指導頂きました瞑想法に準じて、自分なりに時間を見つけて初歩的な瞑想実践してみました。

毎日の慈悲の瞑想+週数回の歩行瞑想と手動瞑想と呼吸瞑想です。
何とか素人レベルですが、約1ヶ月は継続出来ていたと思います。
8月末には瞑想の効果が明らかに生じ私自身大変驚愕しておりました!
まず慈悲の瞑想で落ち着きが得られ、歩行瞑想では大地にしっかりと根ざす安心感と今に在る心が育まれていたと思います。
手動瞑想も今に在る心が再認識されるようです。加えてこれは初歩的な雑念妄想と思いますが、
手動瞑想では手を胸に当てた時にその時の心の疲弊感などが感じられるようにも思えました。

呼吸瞑想は初めは様々な雑念だらけでしたが途中からはご指導に基づき頑張って呼吸のみを見つめるように努力しております。

言葉ではなかなか正解には表現できませんが日常では様々な局面で自然に今に在る瞑想の効果が出現していると思います。

その他ブログでのご紹介のニュ-ア-スやブッタの言葉(NK放送)などで若干頭の勉強も行って見ました。

何れにしましても瞑想は哲学からあらゆる宗教においてそして日常の仕事においても
あらゆる精神集中の基本中の基本だと思いました。

雑念や妄想の日々から仏教で言われている無明や執着が発生するようです。
まずは精神を集中して日常の妄想波から心を離すことが心を清める最初の第一歩で
重要な入り口の扉だと思うようになって来ました。

この瞑想という不思議なパワーを持つ「扉」をくぐらずして無明から離脱出来る方法はありえないのだろうと思われます。

内なる空間を正しく認識出来るように、そして本来の自分になれるように、(ここ一週はやや瞑想の頻度が減弱中ですので)本日からもう一度 真面目に瞑想を実践し中庸を理解する清らかな心の人間になり、より冷静に周りの多くの方々の幸せに尽くせる人間になれるようになりたいと切に願うようになっております。

本当に有難うございました。どうかまた今後ともご指導のほど宜しくお願い致します。心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。
忍太郎 |  2011年09月26日(月) 20:00 |   |  コメント編集

Re: 約1ヶ月初歩的瞑想を実践してみました。

忍太郎さん

ご丁寧な報告ありがとうございます。こういう報告をいただけると安心します。

だいぶ変化があったようで本当に良かったです。

ちなみに瞑想に初心者も熟練者もある意味、あくまでもある意味ですが、あまり関係ないとも言えます。あらためて瞑想とかしなくても、普段の心がけでずいぶん違うからです。それまでいかに生きてきたかが問われるとも言えます。しかし初心は大切です。私昨日初心に還って坐禅会に行ってきました。いつもと違うやり方でしたがとても良かったです。

ではまたのコメントお待ちしております。
CyberBaba |  2011年09月30日(金) 07:35 |   |  コメント編集

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