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2011/12/19 (Mon) 17:00

人間関係に線引きすることについて

前回は人をカテゴライズして決め付けをすることについて書きましたが、それに関連して今回は人間関係の線引きについて、筆者の個人的考えを書いてみます。たぶん大多数の方の考えとは大きく異なると思いますので、一意見としてお読みいただければありがたいです。

社会生活を営む上で、人間関係に線引きをするのは必要なことです。家族であるとか、何かの団体のメンバーであるとか、そういう線引きが必要なことは確かです。しかし個人対個人の関係で線引きするのは必要なことでしょうか?例えば、彼または彼女とつきあっているとかつきあっていないとか、誰々とは友達だが誰々とは友達ではないとかです。

筆者はそういう線引きを否定する考えを持っています。ただ距離が近いか遠いかの関係で、線というものは思考によって生み出された妄想であると考えています。また、そういう線の内側にある人は大切にして、線の外側にいる人は粗末に扱う。こういうことが正しいとは思えません。分かりやすい例で言えば、政治的に不安定な国にありがちですが、縁故のある人を重用し、ない人は能力があっても採用しないなどです。これは分かりやすい例ですが、こういう身内、他人という線引きはどこにでも存在しています。

では人を平等に観ることができない、線を引くという心理はどこから来ているのでしょうか?それはエゴ(自我)から来ていて、誰々は自分のものであるという考えから来ているというのが筆者の考えです。またもう一つの理由は、前回書いたように人をカテゴライズするという心理からからも来ていると考えます。

本来人間は皆平等のはずです。誰に対してでも可能な限り慈愛の気持ちで接するというのが正しいありかたではないでしょうか?親や子や恋人であっても、今日初めて会った人でも、あるいは見知らぬ土地に住んでいる人でも、皆同じ人間、もっと言えば生命です。

もちろん距離の近い人を大切にするべきなのは言うまでもありませんが、過剰に贔屓したり、あるいは他人を自分の所有物だと考えて、恋人が他人と話をしたりすることまでを禁じたりするのは行き過ぎで、それは線を引いているからだと考えます。また他人なら騙したり搾取しても良いなどいうのは論外です。

ここから先はさらに異なる考えを持つ人が多いでしょうが、もっと言えば法的制度にも問題があると考えます。家族というだけで、過剰な権利と義務が生じます。例えば相続です。極端に言えば亡くなった人の財産は社会で公平に分けてしまえば良いのです。(あくまでも極端に言えばで、ある程度の相続はまあ仕方ないと筆者も思っていますが)。また子供の扶養義務についても問題があります。子供は社会の財産であり、親の所有物ではありません。親が金持ちなら良い大学へ行け、貧乏なら高校へも行けないというのは偏りがありすぎです。男女間でも婚姻届を役所に出してあるかないかだけで、扱いが全く違ってきます。昨日知り合って婚姻届を出せば、明日配偶者が亡くなれば相続できます。逆に婚姻届を出してなければ、何年同居していたとしても病気で入院した場合にも情報を開示してくれません。

最初に書いた通り、社会生活を営む上である程度の線引きが必要なのは確かです。しかしその線引きを過剰に強めたり、あるいは個人対個人の心理的関係に線引きをするのは間違っているというのが筆者の考えです。人間関係は本来、近い遠いという距離があるだけで、線は無いというのが筆者の考えです。ご参考になれば幸いです。

シリーズ記事
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人間関係に線引きすることについて
嫉妬、束縛、浮気、別れ

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