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2011/12/21 (Wed) 15:00

嫉妬、束縛、浮気、別れ

前回、前々回と人間関係におけるものの観方・考え方を書いてきましたが、今回はもっと具体的にテーマを絞って男女の関係についてです。前回同様大多数の方の意見とは異なる部分が多々あるとは思いますが、自分自身の観方・考え方を見つめなおすヒントにしていただければ幸いです。

先ず、嫉妬、束縛と言うのは欲望であり、本当の愛(アガペーの愛、慈愛、慈悲)ではないというのが大方の賢者たちの一致した意見です。本当の愛とは、相手の幸福や成長を願い、与えるということで、嫉妬や束縛は相手の幸福や成長を妨げ、奪うことだからです。特に自由は与えられるものの内最高に価値のあるものの一つです。その自由を奪おうとするのは本当には愛しておらず、相手を自分の欲望を満足させるための道具としてしか見ていないからです。

ここまでは賢者たちがよく言っていることですが、嫉妬や束縛をする人達のためにちょっとフォローをしておきます。嫉妬や束縛の感情が起きるのは、社会の風習による影響もあるということです。嫉妬や束縛が愛だという間違った風潮があり、また誰かと付き合ったら(何が付き合いなのか実ははっきり言葉が定義されずに使われていますが)他の人と親しくしてはいけないという社会的な掟があるからです。また、たとえそういう風潮・風習がなかったとしても、実際問題相手が誰か他人のために時間を割いたら自分に振り当てられる時間が減るという問題もあります。

しかし自分は社会的風習など気にしないと思い、かつ相手が自分と十分時間を共にしていて、自分が他のことに時間を割いている最中さえ束縛しようというのは、愛ではないと断言できるでしょう。(もちろん会ったら害になるような人と会わないようにと言う忠告は束縛の内に入りません。ただしその場合も何が害なのか、自分の主観が入っていることを十分認識するべきです。)

次に浮気についてですが、束縛がなければ浮気というのも基本的に存在しません。ただし、妊娠ということになれば話が別です。社会的な責任が生じますし、なによりも子供に対して責任が生じます。そうなれば当然パートナーも問題に巻き込むことになります。そういう問題がないのであれば、自分が相手といる時間が充実しているのであれば、相手の自由な時間、それも生きている貴重な時間を奪う権利は誰にもありません。束縛が無ければ浮気という概念も消えうせます。

分かりにくければ、兄弟姉妹を考えてみてください。自分を十分大切にしてくれるなら、後の時間は何をしていようが、関心はあったとしても気にはならないはずです。本当の愛とはそういうものです。

最後に別れについてです。前回書いたように、人間関係に近い遠いという距離はあるが、線や境界はないというのが筆者の基本的スタンスです。従って、いわゆる一般的な線を引くという意味での別れというのは間違っているというのが筆者の考えです。恋愛感情が消えたから、はいさようなら、友達でもないというのは相手を一人の人間としては見ていなかったのではないかとさえ思います。よっぽど相性が悪かったとか、よっぽどしこりを残すようなトラブルがあったとかではない限り、人間として友人として付き合いを続けるべきだと思います。そうなると、世間一般でいう別れというのも存在しないことになりますが、、、

もうすぐクリスマスですが、キリストが説いたのは愛です。それも無償の愛、与える愛、相手の幸福や成長を願う愛です。クリスマスを欲望を満たす日とするのではなく、愛について考え確かめる日にしてみてはいかがでしょうか?

シリーズ記事
男、女と見る前に
人間関係に線引きすることについて
嫉妬、束縛、浮気、別れ

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