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2012/01/09 (Mon) 15:30

説法と説教

説法と説教は似ていますが、意味をよくよく考えてみると、面白い違いがあることが分かります。説法は法(道理)を説くという意味で、説教は教えを説くという意味です。仏教ではお坊さんが説法をすると言いますが、キリスト教では神父さんや牧師さんが説教をすると言います。ちょっと見ると単なる用語の違いのようですが、実は2つの宗教の本質的なものの考え方を非常によく表しています。

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仏教では法(道理)というものは、自分自身によって、体験により理解することが必要だと考えます。従って、自分自身で理解できるように道理を解説し、法を説くのが説法です。

キリスト教では真理とは神が定めたものであり、神のみが知るものであり、人智で知る事はできないと考えます。従って、神の御心のままに従うことが正しいと考え、神の教えである聖書の教えを説くのが説教です。

説法は自分自身で理解することを求め、説教は理屈抜きに従うことを要求します。

もちろんキリスト教でも文字通りの意味での説法をすることはありますし、仏教でも文字通りの意味での説教をすることもあります。しかし原則としてキリスト教は説教であり、仏教は説法なのです。そしてキリスト教ではそれを無条件に信じることが重要だとします。反対に仏教ではそれを自分で確認せずに信じてはいけないということが重要であるとします。良い悪いではなく、仏教とキリスト教ではそういう考え方の違いがあります。

ところで、そういう聖職者ではなく、我々一般人が現実の場で、たとえば子供や後輩などに、説法することと説教することはどちらが良いのででしょうか?それは相手の年齢や理解力などによって異なってきます。相手に道理が通じる場合には説法の方が有効でしょうし、とにかく絶対に正しいという確信がありかつ相手に道理を説いても通じない場合には説教が必要でしょう。しかし通常の場合、正しいという確信があるのに相手に道理が通じないケースはそれほど多くはありません。従って、特別な場合を除き一般的には説法をすべきです。特に相手の年齢が高くなるに従って、説教は控え説法をすべきです。説教はほとんど最後の手段と思ったほうが良いでしょう。むやみに説教するのは、自分自身が解っていない証拠です。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)  |  ↑Top

Comment

No title

大変為になりました。
ラマナ・マハリシの言う悟りに至る2つのプロセスにも近いと感じました。
神に自己を明け渡して真理を説くか、それとも自己放棄による理解から真理を説くか、
西洋と東洋でキッパリ分かれていますね。(今は分かりませんが・・・)

私も日本は歴史的背景からも、説法しか人の耳に入らないと思います。
絶対的な真理を説いても誰も耳を貸さないような時代背景ならば、
自分の体験した事を話すしか無いですもんね。それが道理として人の耳に入るのかもしれません。

私も、真理を信じるというのは自分にはできないとわかっているので、
クリシュナムルティのように、真理以外のものを全て否定し去る事によって理解を深めようと心がけています。

コメント失礼しました。これからも更新楽しみにしています。
ユリイカ |  2012年01月12日(木) 13:44 |   |  コメント編集

ありがとうございます

ユリイカさん

コメントありがとうございます。

意外なコメントでした。どちらかというとコラム的、薀蓄的に書いた記事だったのですが、(実際カテゴリをコラムにしようかと思ったくらいです)、そんなに役に立つとは思いませんでした。なんかかえって恐縮です(汗)

コメントの内容はブログ本文より深いですね。確かに、神に自己を明け渡して真理を説くか、それとも自己放棄による理解から真理を説くか、というのがあるでしょうね。

ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。
CyberBaba |  2012年01月14日(土) 10:01 |   |  コメント編集

No title

仏教を難しいと思ってしまうのは、理解を求めらるからなのかと思いました。有無を言わさず従わせてもらえるなら楽なのですが・・。教え(法)は、自分の経験や体験により変わり続けるということでしょうか。それが、気付きという事なのかとも思いました。心の安心や拠り所として仏教を求めてきたのですが、自分は一歩も動こうとせずに楽になりたがってる心の有り様は、理解とはほど遠いものだと、今頃気付きました。
小林 |  2012年01月18日(水) 22:31 |   |  コメント編集

レッツ・トライ!

小林さん

いつもありがとうございます。

仏教の話とは離れますが、体験の重要性を一つ。

私の知っている学生さんが人見知りで、バイトしてもう半年になるのに、バイトの先輩に飲みに誘われてまだ一度も行ったことがないと言っていました。彼に言わせると「まだ」半年なのですが、私に言わせれば「もう」半年です。酒を飲むことが良い悪いとかそういうことを別にして、彼は逃げていたのです。それで自分で理由をつけては断り続けていたのです。理性で考えればみんなと一緒に行ったほうが一人で帰ってうじうじしてるよりは良いと分かっているのに、自分に言い訳を続けていたのです。そこで私が「行った方が良いと思うか、行かない方が良いと思うか?」と訊いたら、「そりゃ一回くらいは行った方が良いと思います。」という返事でした。「じゃあ、その判断に従え。自分に言い訳して逃げるんじゃない。行くと決めた、今度は断らないと決心しろ。」と言いました。そして実際に行ったのです。自分はあまりしゃべらなかったけど、いろんな話が聴けて良かった、ぐじゅぐじゅ悩まない方が良いと分かった、ということでした。

今回は酒なので賛否両論あると思いますが、とにかくやってみる、場数を踏む、体験的に理解する、そういうことが重要だという良い例です。

悩んでいるのは無駄なことが多いです。(全ての悩みが無駄という意味ではありません。)とにかくやってみる。やると決めたら自分に言い訳をしない。そういうことが大切だと思います。

で、小林さんのコメントですが、理解することは大切です。しかし考えて理解することも大切ですが、体験により理解することの方がより大切です。理性でこうするのが良い、と結論が出たら、感情に有無を言わさず理性に従ってみることです。考えてもいつまでも分からなければ、とにかくやってみることです。失敗してもいいじゃないですか。レッツ・トライ!
CyberBaba |  2012年01月22日(日) 22:19 |   |  コメント編集

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