QLOOKアクセス解析

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

スポンサー広告  |  ↑Top

2009/01/17 (Sat) 21:00

欲求と欲望

人は欲望があるからこそ生きていけるのだ。
食べたいという欲望があるからこそ、食べ生きていけるのだ。
こういう意見をよく聞きます。

しかし欲求と欲望は分けて考える必要があります。

欲求とは必要なもの、欲望は必要ないものを欲することです。
生きていく上で欲求は必要です。しかし欲望は不要です。

欲望は必要ないものを妄想して欲しがることで、
そしてそれは現在には無いものですから、
現実との対比が起き、苦しみにつながります。
そして妄想は広がっていき、それも苦しみにつながります。

欲求と欲望についてのもう一つの誤った認識は、
悟れば全ての欲がなくなるということです。
食欲を滅したという話はよく聞きますが、
排泄欲を滅したという話は聞いたことがありません。
悟っても欲求はあるのです。(あるはずです。筆者は悟っていませんので。)

生きている限り欲求はなくなることはなく、
また欲求は満たされればそこで一旦終了です。
これは性欲や金銭欲についても言えることです。
欲求は必要なのであり、抑圧すべきではありません。

さらにもう一つ欲望についての誤った認識は、
欲望は無限であるといういうことです。
欲望は有限です。
欲望は想像力の範囲内でしか起きません。
人間の想像力は、可能性としては無限ですし、
限りある物質や時間から見ると無限にも見えますが、
ある個人のある瞬間においては有限です。
従って欲望も有限です。

また欲望も欲求と同様、満たされれば終わる欲望もあるということです。
こういう欲望は、可能であればさっさと満たしてしまえば良いのです。
我慢すればするほど欲望は大きくなります。
(こういう欲望は実は欲望ではなく、
 欲求や、欲求の代償つまりカタルシスであることが多いのですが)


欲望の本質的な問題は、
現在現実には無くまた必要でも無いものを欲することです。
それが自分や他の生命を苦しめます。

とはいえ、欲求と欲望の境界線ははっきりとはしません。
欲望とは何かの欲求の代償であることが多いからです。
本当は必要なものが別にあるのに、代わりのものを欲望するのです。
そして欲求と別の欲望が絡み合い、新たな欲望を生じさせます。

何が欲求で、何が欲望なのか、
つまり何が本当に必要で、何が不要なのか、
何を本当に求めているのか、自己観察が必要です。

瞑想・慈愛  |  コメント(24)  |  ↑Top

Comment

ありがとうございます。

ありがとうございます。

欲望多き生活をしています。(苦笑)


本当に必要なもの。不必要なもの。
何を本当に求めているのか?
自分を観察。

自分の人生の今日という日に、このブログを
読むことができたことに感謝しています。

具体的に書き出してしまうと、
一気にあふれ出してしまいそうなので、
ここではやめておきます。
ダイダー健ちゃん^^ |  2009年01月18日(日) 01:28 |   |  コメント編集

ありがとうございます

ダイダー健ちゃん、コメントありがとうございます。

いろいろあるのですね。
またお会いできるといいですね。
CyberBaba |  2009年01月18日(日) 05:23 |   |  コメント編集

 おはようございます。
 冷たい水を口に含むと、歯が冷たくて、我慢できない、と思いました。
 知覚過敏ですね。と、言われました。
 そのとき、思いました。
 痛みを無くすと、新しい痛みが現れる。
 
 痛みは、無くなりますか。
 
ツヨシ |  2009年01月18日(日) 09:54 |   |  コメント編集

痛みについて

痛みも病であり苦であり、現れては消えていく無常なものです。
生きている限り、痛みから完全に逃れることはできないでしょう。
しかし、痛み・病・苦を超越することはできるはずです。
それが修行です。
CyberBaba |  2009年01月18日(日) 14:42 |   |  コメント編集

No title

こんにちは。はじめまして。
mixiヴィパッサナーコミュの「ヴィパッサナーと芸術について」のトピックを読んでいて、こちらを知りました。
最近、スリランカでヴィパッサナーコースに参加して帰ってきましたので、CyberBabaさんのお書きになられていることは、とても興味深いです。ちょくちょく拝見させていただきますので、よろしくお願いいたします。
カーラビンカ |  2009年01月26日(月) 11:42 |   |  コメント編集

ありがとうございます

カーラビンカさん

コメントありがとうございます。

ブログ拝見しました。
落ち着いた色使いで写真も多く、きれいなブログですね。

ヴィパッサナー瞑想コミュ読んでいただきありがとうございます。
ヴィパッサナー瞑想コミュには一時相当エネルギーをつぎ込んでいたので、
読んでいただきありがたいです。

今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2009年01月26日(月) 13:26 |   |  コメント編集

No title

まだ20歳だった頃、欲がない人間になりたいと思っていました。自分を苦しめてるのは欲なんだと思ったからですが、今ではそんな純粋な気持ちがなくなってしまった私は、欲望に苦しんでいるようです。何だか私にとって、とってもいいメッセージでした。
ジュリア |  2009年01月27日(火) 20:36 |   |  コメント編集

ありがとうございます

ジュリアさん
コメントありがとうございます。

ジュリアさんは比較的欲望が少ない人のように見えますが・・・
もちろんご自身が一番よく解っているのだとは思いますが。

でもお役に立てたようでうれしいです。
CyberBaba |  2009年01月27日(火) 22:22 |   |  コメント編集

No title

欲望はどうしたら少なくできるでしょうか?
瞑想をしてエゴを消すようにするのがいいでしょうか?
欲望は苦しみですね
慈悲の瞑想がよさそうですね
いろいろ教えて頂き有難うございます。感謝
坂井弘幸 |  2009年02月05日(木) 06:52 |   |  コメント編集

火の元を消すことです

坂井さん、コメントありがとうございます。

欲望にも原因があるから、結果として欲望が生じます。
その原因を洞察して、それを消すことです。

欲望とは火から生じる火の粉のようなものです。
いくら火の粉を払おうが、元の火を消さなければ、
いつまでも火の粉はなくなりません。
火の粉を相手にしてもほとんど無駄です。

v-42火の元を発見して消すことが重要です。
賢者たちによれば、発見と同時に消えたも同然だそうですが・・・
CyberBaba |  2009年02月05日(木) 10:09 |   |  コメント編集

火元を発見することの大切さ

「賢者たちによれば、発見と同時に消えたも同然だそうですが・・・」
発見することが重要なんですね!

サンカーラの本質を直接理解する・・とか、人間の本質ではないと看破することとか、六根・六境・六識の世界から離れる、または超越するとか・・大悟まで気の遠くなるプロセスを踏むのかと思うとまだまだ覚りにはほど遠いと気が遠くなっていましたが、少し希望がでてきました。まずはヴィパッサナーによる徹底した自己観察ですね。
出口の方向が見えてきました!
ありがとうございます。
ビンカ |  2009年05月08日(金) 14:10 |   |  コメント編集

Re:火元を発見することの大切さ

ビンカさん

コメントありがとうございます。

火の元を発見するには、なぜ生きていたい、あるいは生きていたくないと思うかを発見することが鍵だと思います。幸福を求めて生きているはずですが、では自分の思う幸福とはなんなのか、それは本当に価値があるのか、このあたりを見極めることではないかと思います。

ヴィパッサナーについて強調して書いたので、もしかすると誤解があるかもしれないので書いておきますが、サマタも重要です。車の両輪のようなものだと思っていただければよいと思います。

ありがとうございました。
CyberBaba |  2009年05月08日(金) 19:56 |   |  コメント編集

No title

欲望にも限界がある。欲求の代償の欲望もある。など鋭い考察ですね。やはり瞑想で洞察なさっているのでしょうか。
arthur |  2010年04月21日(水) 08:37 |   |  コメント編集

どう洞察しているか

arthurさん

ありがとうございます。
どう洞察しているかですが、
私の場合は日常生活でも瞑想を切らさないように心がけています。
つまり先入観や思い込み無く、観察や注意をなるべく切らさないようにしています。

ですからいわゆる座ってやる瞑想中にふとひらめくこともありますし、
思考しているときも思考を観察しているのでそのとき気がつくこともありますし、
よくあるのは書きながらひらめくこともありますし、
これもよくありますが他人の文章を観ていると間違っているとすぐに解ります。

そんな感じです。
CyberBaba |  2010年04月21日(水) 15:49 |   |  コメント編集

No title

お忙しい中を、懇切丁寧なご回答をいただきありがとうございます。常住座臥が瞑想になっていらっしゃるのですね。
前便で申しあげませんでしたが、宇宙には限界がないと思っていましたが、欲望と同じで宇宙にも限界があると考えてよいのでしょうか。つまらぬ言葉のあやのようですが、以前それを考えて悩んだことがあるのです。観察している自分に気付いている自分なんて言うのもことばのあやでしょうか。
文章を見て間違っているとすぐわかるように何時かなりたいものです。
arthur |  2010年04月21日(水) 22:06 |   |  コメント編集

宇宙に限界はあるか?

arthurさん

宇宙に限界はあるかどうかですが、科学的には、限りはあるが果てはないのではないかとされています。どういうことかというと、空間というものは曲がっていて、地球の表面のようなものだということです。地球の表面は限りはありますが果てはありません。たぶんそんなようなものだとは思いますが、私にもイメージはできません。

観察している自分に気づいている自分というのは、ある意味では簡単ですが、ある意味ではすごく難しいです。観察しているときには、観察している自分がいます。それに気づくのはある意味簡単です。しかし、観察している者とされてい者との合一とか、観察者さえ空であり実体がないとかになると難しいです。観察者は存在している、それが普通の感覚です。ただし、観察者が存在していないというか意識されないときもあるので、やはり無我、空なのではないかと思います。

文章を見て間違っていると思うのは童心に返れば割と簡単です。子供のころは、大人が自分でもよく解らないことを知ったかぶりしてもすぐにピンときたはずです。その感覚で何かおかしいと感じるのです。おかしいと感じたら論理的に突き詰めれば大抵間違っているか、受け売りの知識であることが判明します。もちろん私もいつも100%判るわけではありませんので、念のため。
参考
瞑想は幼子の直観 http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-72.html
CyberBaba |  2010年04月21日(水) 23:26 |   |  コメント編集

No title

なるほど瞑想とは幼子の直観なのですね。

欲望の限界に関連付けて、私的な疑問にまでお付き合いいただき恐縮しています。いまひとつ違うのです。落語で宇宙の果てまで行ったら、その先があるのではないかというのがあります。友人は鞍のようなものだとかいってましたが、鞍の外側も宇宙ではないかというのは言葉のあやなのでしょうか。
「・・・」と観察する自分がいるなと意識するものはと、意識するものがありはしないか。どうもことばあやのような気もします。
ラべリングとも関連しておもしろそうです。
arthur |  2010年04月22日(木) 09:19 |   |  コメント編集

ありがとうございます

arthurさん

宇宙の構造についてはよくわかりません(笑)
若いころはものすごく興味をもっていたのですが、
自分が生きている間に知ることはまず不可能だと悟り、
それ以来知ろうと思わなくなりました。

意識する者については私自身課題です。
意識する者を自分だと感じていますが、それは無我ではありませんから。
まだまだ修行が必要です。
(一説によるとその心が妨げだそうですが・・・)
CyberBaba |  2010年04月23日(金) 00:06 |   |  コメント編集

No title

誠実なご解答いつもありがとうございます。あまり関係なさそうなのですが、結局は宇宙観が根本でかかわってくる気がしたものですから。別項のご解答と同様自分で考えなさいというのが、お釈迦様のお答でもあるのですね。
arthur |  2010年04月24日(土) 07:57 |   |  コメント編集

宇宙観はみな知りません

arthurさん

私も宇宙観を知ることはとても大切だと思っていて、また知りえると思っていましたが、どうもそうではないようです。実際宇宙を知っている人が本当にいるでしょうか?ブッダも本当の所は知らなかったのではないでしょうか?知らなくても生きていけますし、知ってもたぶん何も変わりません。逆にミクロの世界ですが、こちらは科学的に新事実が次々に発見されていて、新たな素粒子の発見など、もうたくさんだというほどですが、何も自分自身や身の回りの問題を解決してくれません。それより自分自身のことや身の回りのことの方が大切だと思います。
CyberBaba |  2010年04月24日(土) 20:51 |   |  コメント編集

大団円です

いろいろお導きありがとうございました。
おかげさまで、ラべリングへの個人的な疑問解消、宇宙のとらえ方、意識するものの状態、悟りの構造が洞察できました。私たちは輪廻転生を信じる文化ではありませんので、後は自分の生命の展開を楽しむことにします。カンニングして答を教えていただいてからの後智恵ですが、般若心経を逆読みして、顛倒夢想を遠離「しさえすれば」大逆転で静謐な空間の世界に戻れるのですね。ここのビジターの法華の行者さまの読みかたにも大いに触発させられます。
一つ一つご親切なアドバイスありがとうございました。
お元気で珠玉のことばをお伝え続けてください。
arthur |  2010年04月30日(金) 20:55 |   |  コメント編集

Re: 大団円です

arthurさん

ほとんど読んでくださったようでありがとうございます。
お役に立てて幸いです。
宇宙については触発されていろいろ調べてみました。
やっぱりよく判っていないことが多いようで神秘的ですね。
般若心経は素晴らしいと思います。
実践に勝る教えはない、いつも身の引き締まる思いです。
今後ともご愛読よろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2010年05月01日(土) 10:15 |   |  コメント編集

はじめまして

こんばんは。

現在、バガバッドギータを読んでいて、欲望と怒りと貪欲は捨てるべきだ。という文章で、迷っていました。

どこからどこまでが欲望?

でも著者さまの文章を読んで非常に納得しました。

例えば、
必要な生活費を求めるのは欲求で
いきなり、飛行機がほしい!と思うのが欲望ですね。

どうもありがとうございます。
uco |  2010年10月27日(水) 20:33 |   |  コメント編集

はじめまして

ucoさん

はじめまして、コメントありがとうございます!
参考になったようで良かったです。

人間の心は単純ではありません。いくつかの要素が合わさって心ができています。ですから、これが欲望、これが怒りなどとひとえに決めることができない場合が多々あります。欲望と欲求の境目も曖昧です。そういう境目が気になるなら、以下の記事も是非ご覧ください。
70%の愛 http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-entry-56.html

それから、バガヴァット・ギータを読んでいらっしゃるのですね。バガヴァット・ギータはいろいろは解釈ができますが、私の解釈も是非ご一読ください。(もう読んだかもしれませんが、、、)
ヒンドゥー目次 http://cyberbaba.blog57.fc2.com/blog-category-4.html
これらは私の独自の解釈というより、リシケシュのアシュラムで習った解釈を元にしています。リシケシュのアシュラムで習ったことは自分でもとても納得できたので、使わせてもらっています。

ではまた、今後ともよろしくお願いいたします。
CyberBaba |  2010年10月27日(水) 21:09 |   |  コメント編集

コメントを投稿する


 管理者だけに表示  (非公開コメント投稿可能)

▲TOP

 | HOME | 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。