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2012/02/04 (Sat) 16:30

八正道正念・正定入門

一般の方のためのやさしく説いた八正道シリーズ8回目となります。このシリーズではまだほとんど触れていませんでしたが、今回はいわゆる瞑想についてです。なぜ「いわゆる」と書いたかと言うと、例えばクリシュナムルティのように、坐ったり歩いたりする行としての瞑想は一切無意味で、本当の瞑想とは日常生活で自分の心を観察し静寂を見出すことだけだ、と説く人もいるからです。
参考記事
真の瞑想は人間関係の中にある
クリシュナムルティの瞑想

確かにそれはその通りとも言えるのですが、やはり通常は行としての瞑想も必要だと言えると思いますし、特にこのシリーズは八正道なので、八正道の中で述べられている瞑想について今回は解説します。

八正道の中での瞑想は、7番目の正念(正しい気づき)と8番目の正定(正しい心の安定)です。この2つが最後に来ているのは、八正道全体の仕上げ的意味があるからだと考えられます。それほど八正道の中でも重要です。

正念で行う瞑想は自己観察瞑想で、自分自身の体の感覚、行動、思考、感情などを観察して気づき、そして洞察して理解する瞑想です。ヴィパッサナー瞑想、あるいは止観の観の瞑想とも呼ばれます。

正定で行う瞑想は心を安定させる瞑想で、様々な手法がありますが、通常は何かに集中して心を安定させるという手法を用います。サマタ瞑想(サマーディ瞑想)、あるいは止観の止の瞑想とも呼ばれます。

ここで正念について補足しておくと、日本では従来正念とは、正しく念ずる、つまり正しい思いを持ち続けると解釈されていることが多いのですが、それは誤りです。日本の仏教はインド、パキスタン、アフガニスタン、中央アジア、中国、韓国等を経由してきていわば伝言ゲーム的になっていて、それではよく理解できない事があまりにも多いので、主に平安・鎌倉時代の僧侶たちが独自に努力を重ねて起こした宗教で、原型を留めていない部分が多々あります。正念も正しく念ずると解釈される事が多いのですが、国際化・インターネット化が進んだ現在、それは誤りであり、正しい気づきが正しいと判明しています。そして正しい気づきでないと、八正道の意味が通りません。(もちろん正しく念ずる事自体が間違っていると言っている訳ではありません。そういう心がけが必要な人もいるでしょう。しかし八正道の文脈ではないと言っているだけです。)

一般の方は瞑想というと何か得体の知れないものだとか、危ないものだとか、あるいは一部の修行者のみが行うマニアックな修行だと思う方もいらっしゃるかと思いますが、そうではありません。一般の方でも寝る前などに心を落ち着かせたり、一日を振り返って自分の心を観察したりする方もたくさんいらっしゃると思います。そういうことも一種の瞑想です。ただし、ここで、正念、正定に「正」の字がついていることに注目する必要があります。正しい瞑想をしているのかどうか、自分で調べるなり、習うなり、検討・考察(正思)するなりが必要でしょう。

しかしそれでも入門篇としては、寝る前などに正念・正定をやることは十分に価値があります。そしてその心の状態を日常生活でも活かせるように心がければさらに効果があります。この時気をつけるべき事は「正念・正定である」ということを心がけることです。つまり、自分自身に気づいているか、別の言い方をすれば注意力・意識が自分自身の内側に向けられているかということと、心の安定を心がけているかということです。空想・妄想などは瞑想の内に入りません。(ただし空想などが全て悪だと言ってる訳ではありません。作家などにとっては必要でしょうし、筆者も空想は好きです。しかしそれは瞑想ではないと認識すべきだという事です。)

より詳しい行法としての瞑想については、過去記事にたくさんありますので、以下の目次などから検索して調べてください。
瞑想・慈愛目次

やさしい八正道入門まとめと目次

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