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2012/02/05 (Sun) 16:00

八正道と瞑想

前回、八正道の正念・正定は瞑想が必要となってくるという事と、瞑想と言っても特殊なことではなく、実は誰でもある程度はやっている事だという事を書きましたが、今回は八正道と瞑想とのバランス関係についてです。

瞑想は正念・正定の一部であり(と言っても大きな部分ですが)、正念・正定はさらに八正道の一部である。これは知っている人なら誰でも「知識としては」知っています。しかしそれを実感として理解している人は、筆者の見る限りそれほど多くはありません。八正道は八正道、瞑想は瞑想と分けている人が多いように見えます。

そして、瞑想は一所懸命やり瞑想中は心が安定していろいろ洞察していても他の八正道の項目が疎かで対人関係は滅茶苦茶だとか、逆に、八正道を規則として守っていて人に迷惑をかけたりとかはしないが瞑想を正しくやっていないために心が固く貧しく本人はとても幸福とは思えないとか、そういう人がかなりいるように見えます。

筆者の考えは、瞑想は八正道という大きな体系の中の一部の正念・正定のさらに一部の修行と位置づけて、八正道全体のバランスの中に瞑想を位置づけるのが良いと考えます。

もちろん僧侶などの専門の修行者や、あるいは一般の人でも瞑想合宿などで、ある時期瞑想だけに集中するなどは別です。しかしその場合でも長期的に見た場合には、八正道全体のバランスが取れるよう心がけるべきでしょう。

そして、坐って行うなどの瞑想は正念・正定の一部であると認識し、日常生活でも正念・正定を心がけることも大切だと思います。普段から自分の内側に意識・注意力を向ければ自分という者に気づいて理解できますし、心が動揺したときに正定を思い出すだけで動揺がかなり治まります。

瞑想を八正道の一部であると位置づけると、2つのメリットが生じます。1つは全体のバランスが取れてくることです。もう1つは瞑想をやらなかった日でも、サボったという罪悪感がなくなることです。一般の人にとって、いやかなり上級の修行者にとっても、この2つのメリットは大きいと思います。

八正道は八正道、瞑想は瞑想と分けるのではなく、全体のバランスを心がけるべきだというのが筆者の考えです。

やさしい八正道入門まとめと目次

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