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2012/02/06 (Mon) 16:00

瞑想って何?(ある職人の話)

前々回前回と、正念・正定では瞑想が必要となってくること、一般の人にとっても瞑想は特殊な修行ではないことと、一般の人でも瞑想と意識せずに瞑想していることも結構あるということを書きましたが、瞑想状態についてのイメージをもっと具体的に分かりやすく書きます。

瞑想方法や人により時と場合により、瞑想状態はかなり違うとも言えますが、分かりやすいイメージで言えば、没頭状態あるいは満喫状態です。例えば子供が砂遊びに夢中になっている状態です。没頭していて余計なことは一切考えず(妄想が全く無く)周りの音さえ耳に入りません。あるいは温泉に入っている状態です。リラックスして感覚をフルに満喫して味わっていますが、やはり余計なことは何も考えません。そういう余計なことを考えず、余計なことが耳にも入らず、「今ここ」を味わっている状態が瞑想です。

さてタイトルのある職人の話についてですが、最近、左官・ペンキ職人の親方の仕事についてその弟子から話を聴きました。まさにこれは瞑想だと思ったので紹介します。

壁を塗る仕事というのは難しく、斑無くきれいに塗るには相当の熟練が必要です。そしてそのためにはいわゆるテクニックだけでなく、精神修養的な要素がかなり大きいそうです。壁を塗っていると、心が安定して行き、雑念は一切消えるそうです。雑念だけでなく思考もほとんど無くなり、ただ塗っているという没頭状態になるそうです。そして周囲の音なども耳に入らなくなります。余計な事を考えたりすると、きれいに塗れないそうです。この状態は正定と言えるでしょう。

しかし気づき・注意力は保たれています。斑にならないように細心の注意を払っています。そして驚くべき事は、周囲の音などが耳に入らない状態にも関わらず、必要な情報については「自然に」入ってくるそうです。どういうことかと言うと、例えば、親方と弟子が二人で屋根のこっち側と向こう側を分担して塗っていても、親方は弟子の塗り斑を見ないで判るのだそうです!一通り二人が塗り終わった後、親方は弟子が塗っていたの塗り斑の部分に一直線に行き塗り直す。こんなことがしょっちゅうあるそうです。音や気配で分かるのだそうですが、余計な音は一切聞こえないのに必要な音だけは耳に入り、気づきが非常に保たれており、正念と言えるでしょう。

こういう、今ここに没頭し、思考が無いながらも気づきが失われず、また緊張もしていない、これが分かりやすい瞑想のイメージです。一般の方でも経験している人ならしょっちゅう、少ない人でも何回かはあるはずです。いわゆる集中とは違うことがお解かりいただけると思います。ただし、坐って行う瞑想の場合は、意識・気づきが自分自身の内側に向けられる所が違います。また、より高度な修行をしている人の境地については、筆者も知る由もありません。

ところで、この親方の場合、仕事以外では全くそういう境地ではないようです。熟女バーが好きな普通のおじさんだそうです。それはけしからんと思う人もいるでしょうし、それはそれで人間味があって良いと思う人もいるでしょう。筆者の感想としては、多少遊びがあった方が人間味があって良いと思いますが、それでも仕事だけでなく、自分の内側にも意識・気づきを持つように心がければさらに良いのにと思います。

ということで今回は、修行者でない一般の人でも瞑想の境地に達することができるという事と、その境地がどういうものであるかという事を解説しました。またその意識を内側に向ける事も大切だという事を書きました。次回は八正道と中道について書きます。

追記
コメントでとても良い質問をいただきました。コメントも是非お読みください。

やさしい八正道入門まとめと目次

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)  |  ↑Top

Comment

瞑想状態

例えば、TVゲームに没頭してるときとか、パチンコ依存症の
人が朝から晩までパチンコ打ってるのも瞑想状態なんでしょうか?。
TVゲームやパチンコに没頭するのと、先ほどの職人さんの
壁を塗るのに没頭している状態とは違うんでしょうか?。

ひょっとしたら私はとんでもない勘違いをしてるのかも知れません。
恥を忍んで質問させていただきました。
修行者 |  2012年02月06日(月) 19:22 |   |  コメント編集

Re: 瞑想状態

修行者さん

こんばんは、コメントありがとうございます。

この質問は私も一瞬考えてしまいました。しかし数秒考えて違うと判りました。

職人さんの没頭は今ここにいて、余計な事、場合によっては何も考えていません。それでいながら反対側にいる弟子の仕事にも気づいています。そして欲や怖れがありません。

TVゲームやパチンコの場合は、全てが全てとは言いませんが、ほとんどの場合結果を考えていて、欲や怖れに振り回されています。また惰性でやっているだけで、気づきもほとんどないか、たかが知れています。

また感覚的に言えば、職人さんの意識は澄んでいますが、TVゲームやパチンコの場合は濁っています。

ただし、ゲームなどでも本当に没頭している時は違うかもしれません。結果がどうなるかを一切気にせず、ただ今ここにいて、インスピレーション的気づきがバシバシある場合もあるかもしれません。

また、ご質問をいただいて気づいたのですが、「いわゆる」瞑想に中毒しているというケースもあると思います。実際私も経験があります。そういう時の精神状態は、瞑想によって結果を追い求める欲や、快感(というより惰性)に浸る欲があり、あるいは瞑想が上手く行っているかどうかを心配したり、または上手く行っていなかったらどうしようという怖れがあります。そしてたいした気づきもありません。感覚的に言えば意識がどんよりしています。

結論を言えば、TVゲームやパチンコは、ほとんどの場合は瞑想状態とは言えず、ただの中毒でしょう。ただし、極一部に関しては例外があるかもしれません。そして「いわゆる」瞑想でも単なる中毒というケースもありえます。

こんな回答でよろしいでしょうか。
CyberBaba |  2012年02月06日(月) 22:11 |   |  コメント編集

No title

>そして欲や怖れがありません
これで、「ピン!」ときました。心理的な葛藤が無いということと
解釈しました。仮に欲や恐れの感情があっても、ただそれとして受
け入れていて、ただ「いまにある」という状態なのでしょうね。
禅でいう「只管」でしょう。

わかりやすいご回答ありがとうございました。
修行者 |  2012年02月06日(月) 22:48 |   |  コメント編集

Re: 瞑想状態

修行者さん

どういたしまして。
ピンときたようで良かったです。

>仮に欲や恐れの感情があっても、ただそれとして受け入れていて

おっしゃる通りです。自己観察瞑想(ヴィパッサナー瞑想)の場合は、欲や怖れも観る事が必要な場合もあります。それを価値判断せずに受け入れてただ観るという事が必要です。まったくおっしゃる通りです。

とても良い質問で、私も「中毒」についての考え等を整理することができました。

ありがとうございます。
CyberBaba |  2012年02月07日(火) 09:04 |   |  コメント編集

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