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2012/02/07 (Tue) 16:30

八正道と中道

このところ八正道をシリーズで、仏教的にではなく一般の人に解りやすいようやさしく平たく書いていますが、今回は中道についてです。

中道とは八正道に先立ち、ブッダが最初に説いた教え、心がけです。苦行を捨て、菩提樹の下で大悟したブッダが、昔の苦行仲間を探し、一番最初に説いた教えです。そしてその時の内容は「極端を避けよ」でした。苦行や快楽などの極端に走ることなく、中道を歩めという事です。しかしその後もブッダは中道ということをかなり言っていたようで、単に極端を避けるというだけでなく、もっと深い意味があり、ブッダの教えの中核となっています。今回は例によって仏教的にではなく、筆者の解釈を含め、中道について解説します。

中道でよく誤解されるのは、先ず「極端」という言葉です。極端を避けることは、無難・凡庸な道を歩む事だと解釈する人がいますが、それは間違いでしょう。「度を過ぎた事」を避けるという方がより正しい解釈です。「極端」という言葉には本来「度を過ぎた」という意味がありますが、今日ではそういう意味合いが減ってきて「突出した」という意味に解釈する人もいます。しかし突出する事自体は本来の意味では極端ではありません。度を過ぎるという事が極端であり、極端を避けるということは無難・凡庸ではありません。

次に、中道を筆者の言葉で平たく現代風に解釈してより深く探ってみます。

先ず「バランス感覚」というのが挙げられます。筆者がよく使う例えですが、例えばスキーです。ゲレンデの状態(人生の状態)は刻々と変化し、無常です。その中で常にバランスを取るという感覚です。常に状況は変化しているので、こうやっていれば良い、というパターンは存在しません。臨機応変に前後左右真ん中とバランスを取る必要があります。そのバランスの取れた状態が中道です。

またスキーの例で極端と言えば、1つの極端は到底出来もしない度を過ぎた大技や高速にいきなりチャレンジすることです。もう1つの極端は、とにかく転ばない事だけを考えてたらたら滑ることです。自分の力量に合ったチャレンジが中道と言えるでしょう。

日常生活での具体例も1つ挙げておきます。子供を叱る場合です。怒る(いかる)のは通常良くないとされていますが、場合によっては自分の怒りをはっきり子供に見せて叱る方が良い場合もあります。しかしいつも怒ってばかりでは子供は反発したり萎縮してしまったりします。ここで中道のバランス感覚が必要とされるでしょう。

中道を別の言葉で言えば、「ニュートラル」「フリー」という事も言えると思います。1つの見解やパターンに嵌りこむことなく、ニュートラルでフリーな立場にいる。以前書いた多角的観方にも通じますが、これも中道と言えると思います。たとえ自分の見解がある見地から見れば正しくても、それだけが正しいとして執着するのは中道とは言えないでしょう。必要であればいろいろな見地に立てるニュートラルでフリーな感覚が中道と言えるでしょう。

こうしてみると中道は、八正道(つまり日常生活での心がけ)全般に渡り、基本的に心がけておくべき重要な事項だと言えるでしょう。そして中道を現代的な言葉で言えば、バランス感覚、ニュートラル、フリーな感覚、臨機応変などと言えると思います。

やさしい八正道入門まとめと目次

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