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2009/02/25 (Wed) 21:00

魂の不死(クリシュナの言葉)

魂にとって誕生もなく死もない
原初より在りて永遠に在り続け
肉体は朽ち滅びるとも
魂は不壊不滅である  (バガヴァットギータ 2章20節)

バガヴァットギータでは魂が永遠であるということを繰り返し説いています。
かつ魂は無限であり、
切ることも燃やすことも濡らすことも乾かすこともできないと説いています。
つまり物質的な影響を及ぼすことができません。
また考えることもイメージすることもできません。
なぜなら魂は無限であり、心は有限だからです。

この魂についての考え方が、ヒンドゥー教と仏教の最大に異なるところです。
仏教では永遠不滅なる魂を認めていません。
仏教では生命の本質は空であると説いています。
しかし、もしかすると同じことなのかもしれません。

空というのは無いということではなく、中核となる実体がないということですから、
無限かつ永遠だとも解釈できます。
無限であるということは、自他の区別はありません。
自他があるということはそこに境界があることになり有限になるからです。
ですから、無限かつ永遠であるということは空であり無我であるとも言えます。

しかし、バガヴァット・ギータも言っているように、
心で考えても知ることはできないので、
後は実際に瞑想して観るのみです。

ヒンドゥー  |  トラックバック(0)  |  コメント(4)  |  ↑Top

Comment

No title

こんばんは。
先日は私の未熟な日々を切り取った独り言の様なブログにも
ご訪問頂きありがとうございました。

今回の先生のコメントを読ませて頂いて、いつか耳にした
「一切は空」という言葉を思い出しました。

そして仏式のお葬式の悲しさ。
幼き頃に感じたこの世からあの世へいってしまうともう決して
会う事ができないという強い別離感。

対照的なキリスト教式の復活を信じる希望に満ちた葬送ミサ。
天国に召される事は幸せなことで、また魂は復活するという期待感。

同じ魂なのに・・といつも学校で宗教の授業を受けるたびに考えていました。

空・・無限かつ永遠。
中核がないことが無限で永久に続く事であれば「絶え間なく注ぐ愛の名を
永遠ということができる」というのは理屈にかなっていますか?
めるりぃ |  2009年03月02日(月) 23:01 |   |  コメント編集

No title

めるりぃさん、こんばんは

コメントありがとうございます。
でも先生というのはちょっと、、、


>空・・無限かつ永遠。
>中核がないことが無限で永久に続く事であれば「絶え間なく注ぐ愛の名を
>永遠ということができる」というのは理屈にかなっていますか?

理屈にかなっているような気もしますが、
難しいことを質問されますね。
申し訳ありませんが、はっきりとお答えいたしかねます。

でも本当はめるりぃさんが知りたいのは、
別れに対する自分の気持ちをどうすればよいのか?
ということなのではないですか?

もう一度自分の気持ちを見つめなおしてはいかがでしょうか?
CyberBaba |  2009年03月04日(水) 01:57 |   |  コメント編集

No title

こんばんは。

コメントにお答え頂きありがとうございます。

家事の合間に考えました。
無限・永遠は無我であり空であるということは、私たちが考えらる範疇にはない全く違う次元の時空の中に流れるものなのでしょうね。(流れたり止まったりさえしないのでしょうけれど・・)

でも今私たちの人生を刻む時間は、とても密度が高い時とそうでない時がありますね。
濃淡があるということは時間は液体の様に流動的なものなのかな・・とも思います。

別れに対する自分の気持ちをどうすればよいか・・については、私は人生とはすでにシナリオがあり出会いも別れも私たちの手ではもう書きかえられない何かがあるという気がずっとしています。そこには何も根拠などはないのですが、理性でどう考えてもコントロールできない事に支配されている人の人生はやはり何かに突き動かされている気がしてならないのです。
めるりぃ |  2009年03月06日(金) 02:50 |   |  コメント編集

No title

めるりぃさん、コメントありがとうございます。

> 無限・永遠は無我であり空であるということは、私たちが考えらる範疇にはない全く違う次元の時空の中に流れるものなのでしょうね。

たぶんそのとおりだと思います。本文にもあるように、無限のものは有限な心の想像を超えているからです。

> 私たちの手ではもう書きかえられない何かがあるという気がずっとしています。

仏教やヒンドゥー教ではこれをカルマと言います。カルマから抜け出して本当に自由になることが悟りであり解脱だと言われています。
CyberBaba |  2009年03月07日(土) 07:37 |   |  コメント編集

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