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2009/04/25 (Sat) 21:00

悟りとは何か?

今回は悟りとは何かという言葉の定義についてです。
悟りは言葉では表せないというのは真実であり、
定義とか嫌う人もいると思いますが、
その境地は言葉では表現できませんが、
意味自体ははっきりとしていて漠然としたものではありません。

悟りとは2つの意味で使われます。

・何か物事の本質に気づき、実感として解ること、理解すること(小悟)
・自分の本質を洞察して理解し、全ての苦しみから離れること(大悟、覚り)

小悟は普通の人でもいくらでもあります。言葉の使用例を挙げてみます。

・物事の道理を悟った
・相手の心の本音を悟った
・人の気配を悟った
・死期を悟った
・このやり方ではダメだと(あるいはこれでよいと)悟った

全て気づいて実感として理解したということを意味しています。

大悟、覚りとは、こういう悟りの内で最大のもので、自分の本質を悟ることです。
筆者は大悟していませんが、大悟したと思われる人たちの言葉によると、
自分(エゴ)というものは本質的には存在しないと解るそうです。
そうするとどうなるかというと、一切の苦しみから離れることができるのです。
なぜ苦しみがなくなるかというと、苦しむ自分がないからです。
そして自他の区別がなくなるので慈悲深くなるのです。
それが本当の智恵でもあります。

大悟するためには、つまり本質的には自己は存在しないと理解するには、
徹底した自己観察が必要だとされ、それが瞑想(ヴィパッサナー瞑想)です。

このことは般若心経にも書いてあります。
詳しくは般若心経シリーズをお読みください。

瞑想・慈愛  |  トラックバック(0)  |  コメント(8)  |  ↑Top

Comment

立ち寄ってみました。^^

はじめまして。
興味のある題名でしたので、読ませていただきました。悟り。大事な、大事なものですよね。宗教にとって。
私、思うんです。悟りとは、端的に言えば「納得」だと。
心の底から、納得して満たされることだと。
経験から感じるんですが、悟った後は、変わらないんですよね。
何年たっても、感動と納得が継続する。
私、そのように感じております。^^
菊川広幸 |  2009年04月25日(土) 23:22 |   |  コメント編集

おっしゃるとおりです

菊川広幸さん

コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりです。
本当に理解し解ればそのとき納得が生じます。
その納得が悟りだというのも、まさにおっしゃるとおりです。
そして感動も生じます。
すばらしいコメントありがとうございました。
CyberBaba |  2009年04月26日(日) 05:26 |   |  コメント編集

No title

全ての人に説明=説法できなければ大乗ではないですね
初転法輪=説法して初めて確認できるものですね
相手に受け入れられない意見ー悟り=まあ悟っていないお馬鹿な方々に悟りを語ること=唯我独尊状態になりますけどこの孤独ってどうなんでしょうか?

でも18願で阿弥陀さんは呼びかけているよとかね・・・大乗なのかな?
青野信 |  2009年04月28日(火) 07:22 |   |  コメント編集

No title

私はあまりに自我が強いので「自己は存在しない」というのは、そうなのだろうと思うものの、実感の伴った理解には苦労しています。
日々できることは、自己観察(ヴィパッサナー瞑想)しかないですね。1㎜づつ進みます。
カーラビンカ |  2009年04月28日(火) 11:42 |   |  コメント編集

大乗と上座部

青野信さん、コメントありがとうございます。

私自身はあまり大乗だとか上座部だとか区別はしていません。
仏教は仏教だと思います。
ただあまりブッダの教えから離れたものはどうかとは思いますが。

人に説明できるかどうかについては、どんな人にとっても難しいことだと思います。例えば外国へ行ったとして、どんなに説明しようが、写真を見せようが、その雰囲気や体験を完全に伝えることはできません。ただ自分が行った行き方については説明はできます。行き方はさまざまあるので、あまり大乗だとか上座部とかにはこだわってはいません。
CyberBaba |  2009年04月28日(火) 15:46 |   |  コメント編集

自己は存在しない

カーラビンカさん、コメントありがとうございます。

おっしゃるとおりですね、難しいです。
自己は見方によっては確かに存在します。

しかし覚者と思われる人たち、自分が解る範囲で深い洞察をしている人たちは皆、自己は本質的には存在しない、と言っています。
だからおそらく正しいのでしょう。

これはいくら教えてもらっても解るようなものではなく、自分自身で確認して納得するしか方法はないと思います。
CyberBaba |  2009年04月28日(火) 15:53 |   |  コメント編集

某宗教の方々が「仏法=法華経?」

達磨はダルマ!ボディーサットバ!

ブッタスティック=ブッタダルマ!

アビダルマ!=ダンマパダ!法句経典

サンスクリットで思考すると世界は狭い

仏法????なんてカルトですね

法華経読まずの仏法語り!
さんたち多いのが末法!のはじまり
S教新聞に毎朝載っています

大きな乗り物か小さな乗り物か?
バスが55人乗り?21人乗り?3人乗りでも
空海さんは2人乗りですね:同行2人!

でもなんでも僕も区別?は?良いですね

「運べれば」バスはOKなのですね。

浄土?禅?悟り?阿弥陀?地蔵?マイトレーヤ?
なんでもタクシーでも車でも
手押し車でも~運べればOKなのですね
青野信 |  2009年04月30日(木) 12:08 |   |  コメント編集

よくわかりませんが

なにをおっしゃりたいのかよくわかりませんが、
仏法=法華経というのは極論ですね。

人それぞれ違う道があり、
題目を唱えることにも意味はあり、
サマタ瞑想の一種でマントラヨーガに分類されますが、
「それだけ」で悟る(大悟する)ことは難しいでしょうね。
CyberBaba |  2009年04月30日(木) 17:34 |   |  コメント編集

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