2009/05/13 (Wed) 21:00
サマーディで残る心(五禅支)
サマーディ(三昧、禅定)とは思考も感情もほとんど、または全く無い状態ですが、
サマーディに達しても、五禅支と呼ばれる5つの心が残っています。
これ以外の心は起こりません。
ただし、完全に覚る(大悟)するまではその他の心もちらっとは現れるそうです。
また禅定が深まるにつれ、尋、伺、喜、楽の心がなくなっていきます。
禅定には初禅から四禅まで4つの段階(分類法によっては5つの段階)があります。
禅定の浅い順からどの心があるかを記述します。
つまり初禅ではまだ対象に意識を向け、それを維持しようとする意志が働きますが、
二禅ではその意志がなくなり、自然に対象に意識が向けられます。
二禅では喜びの感情がまだありますが、
三禅になると喜びという強い感情は消えます。
三禅では楽だという感情がまだありますが、
四禅では意識のみが残り、平静な境地に達します。
さらにこれ以上の境地として、
四無色(空無辺処・識無辺処・有所無処・非想非非想処)という、
対象がなく意識だけがある境地が4つありますが、
筆者の理解の範囲を超えるので省略いたします。
概略を分かりやすく知りたい方には、「初期仏教キーワード」という書籍をお勧めします。
著者星飛雄馬さんのブログ The Sound of Silence Free Tibet !
シリーズ記事
サマーディについての誤解
サマーディの達成の判定方法(五自在)
サマーディで残る心(五禅支)
サマーディは覚りに必須か?
関連記事
瞑想学基礎
悟りとは何か?
表現に問題がある場合もあると思います。
その点ご了承ください。
サマーディに達しても、五禅支と呼ばれる5つの心が残っています。
五禅支
尋(じん、vitakka)-意識を対象に向ける心。意志。
伺(し、vicaara)-対象に向けた意識を維持する心。意志。
喜(き、piti)-喜びの心。感情。
楽(らく、sukha)-楽な感覚又は楽しさ。感情、気分。
一境性(いっきょうせい、ekaggata)-対象に気づいている心。意識。
これ以外の心は起こりません。
ただし、完全に覚る(大悟)するまではその他の心もちらっとは現れるそうです。
また禅定が深まるにつれ、尋、伺、喜、楽の心がなくなっていきます。
禅定には初禅から四禅まで4つの段階(分類法によっては5つの段階)があります。
禅定の浅い順からどの心があるかを記述します。
初禅 尋、伺、喜、楽、一境性
二禅 喜、楽、一境性
三禅 楽、一境性
四禅 一境性
つまり初禅ではまだ対象に意識を向け、それを維持しようとする意志が働きますが、
二禅ではその意志がなくなり、自然に対象に意識が向けられます。
二禅では喜びの感情がまだありますが、
三禅になると喜びという強い感情は消えます。
三禅では楽だという感情がまだありますが、
四禅では意識のみが残り、平静な境地に達します。
さらにこれ以上の境地として、
四無色(空無辺処・識無辺処・有所無処・非想非非想処)という、
対象がなく意識だけがある境地が4つありますが、
筆者の理解の範囲を超えるので省略いたします。
概略を分かりやすく知りたい方には、「初期仏教キーワード」という書籍をお勧めします。
著者星飛雄馬さんのブログ The Sound of Silence Free Tibet !
シリーズ記事
サマーディについての誤解
サマーディの達成の判定方法(五自在)
サマーディで残る心(五禅支)
サマーディは覚りに必須か?
関連記事
瞑想学基礎
悟りとは何か?
【追記】
サマーディーの詳細については、体験ではなく知識で書いているので、表現に問題がある場合もあると思います。
その点ご了承ください。
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